洋裁をしたいと思っていたのだが、座布団カバーを作った後に裁ちばさみをどこに置き忘れたのか、見つけられなくて洋裁が出来ない。
カシュクールの作り方を載せている洋裁の本を本屋で見つけて、ちらちら見ていて、やはり買いに行こうと思って行ったら、売れてしまっていた。
これはやはり、「洋裁なんてやっている場合じゃないよ」、「他にやるべきことがあるよ」という神様の思し召しなのか?と思ったり・・?
私は、がちゃがちゃと散らかった中から無くし物を見つけるのが得意の狩猟民族系なのだが、このところ狩猟民族系の感が衰えてきているように思う。
歳のせいかな?と夫に言うと、「長年、農耕民族系と一緒にいるからじゃないの?」と言う。というより、この頃、庭作りがしたい、最終的には野菜を作りたいと思っているからかも?と言うと、「狩猟民族が農耕なんてしようと思うから駄目なんだろう」、と。
そうかも知れないな、と思った。だが、人は自分が持たないものに憧れるのだ。
去年までここに 緑の植物の中のよそ者の
巨大なサボテンが階段のそばに生えていた。それは
十歳の子どもの背丈ほどもあった。何年ものあいだ
よく耐え たくましく育ち 針で武装した手で
あらゆる隣人を遠ざけていた。ただその足元に どこから来たのか
ひとむらの茶色い小びとのようなクローバーがすみついた。
サボテンはこれを許し 彼が仲間となることに
満足しているように見えた。ところが去年 雪の多い冬に
雪の重みが幾つもの肉厚の枝を折り しだいに
その傷口から内部をむしばんでいった。
今では その悲しい空所は小さな雑草でおおわれている。
かつてあのよそ者が生えていたその場所に ためしにオダマキを植えてみた。
その場所が 彼女には日当たりが良すぎなければよいがと
願っている。彼女の故郷は森の中だから。
ヘルマン・ヘッセ『庭仕事の愉しみ』(草思社文庫)より
これは、狩猟採集民族系の庭作りだな、と思う。
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— 東紀州情報発信ツイッター (@info_hkishu) 2018年6月25日