風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

高尾文子歌集『エレミヤ』(角川書店)より

ヒラリーは安倍と同じで簡単に覆すだろうが、トランプが選ばれれば日本のTPPに待ったがかかると、ちょっと期待していた。まぁ他国の大統領に期待すること自体間違いだったとは思うが・・。TPPには私は基本的にずっと反対だった。詳しい内容が分からなければ普通は採決を見送るだろうが!
TPPが押し進められれば、農協が農薬を推進するだの高い農機具を売りつけるだのと文句を言っているくらいでは済まなくなるだろうと思える。勘にすぎないが。
しかし、地球温暖化詐欺から手を引くというのには、もう一度期待してみたいところだ。元々私は人にはそれほど期待しない方ではあるが。真の人間としてこの世に来て下さった神の子イエス・キリスト以外に救いを期待しても無駄なのだ。そう言えばもうすぐクリスマスシーズンだった。ちゃんと風邪治さなきゃ。まだ十分じゃない。

ひとりのみどりごがわたしたちのために生まれた。
ひとりの男の子がわたしたちに与えられた。
権威が彼の肩にある。
その名は、「驚くべき指導者、力ある神
永遠の父、平和の君」と唱えられる。(イザヤ書9:5)


地球温暖化詐欺「パリ協定」からのアメリカの脱退と米ロ同盟
ここにリンクしたブログからは他からは得られない情報を得ることが出来、何に対するものかは分からないが、このブログの管理人の何かに対する愛情が感じられるので時折拝見して、場合によってはリンクさせていただいている次第である。が、偶に、専門外の事柄には間違い、あるいは表記に細やかさを欠く場合もあるのではないだろうか。たとえば、前回リンクさせていただいた中には、キリスト教原理主義者、つまり、福音派をバックに付けた保守的な運動(Neo-Conservative movement)を展開している“敬虔なクリスチャン”の特徴は、現代イスラエルが聖書の預言の成就をみなければならない、という信念を通して、イスラ エルを総合的に支援していこうという考え方が横たわっていることである。」と記された部分があるのだが、夫によると「福音派と言っても右から左まで幅広い」ようだし、「福音派」という語と「福音主義」という語を区別して用いる人と区別しない人もいるということでなかなか複雑そうである。私も、ブッシュ政権を支えているのは福音派キリスト教会だ」と考えていたので、今後はそういった安易な表現をしないように気をつけなくてはと思っている。私が洗礼を受けたのは日本キリスト改革派教会で「改革派」という語がついているのだが、福音派に属する教派だそうだ(自分でもきちんと把握できていない)が、こちらに帰って来るときに一番近い教会として福音派ではない現教会を勧められた。こういった区別は実際その中にいる者にもすっきり認識されてはいないだろうと思う。(ミルトス)


   エレミヤ

古代イスラエル。大預言者エレミヤは無益な戦ひを止めるやう王に
忠告したが聞き入れられず、エルサレムは炎上した。(エレミヤ書


垂直に墜ちたる蟬の終(つひ)の音知るは月下の一木ならむ

                 レンブラント展四首
秋深む首都紅葉のこの森に<光と影の画家>の絵仰ぐ
一枚の画布に預言者(ぬか)伏せて嘆きつづけむ王のいくさを
                   「悲嘆にくれる預言者エレミヤ」
聖書画家ゑがける白髯(はくぜん)のエレミヤの苦悩は今日の戦争(いくさ)の苦悩
色彩は声挙げねどもレンブラント・ファン・レイン絵筆の無限の言葉

をさなごの遊びに拾ふ空蟬のがらんどう不意の黙示おそろし

                 高尾文子歌集『エレミヤ』より



見よ、わたしはきょう、あなたを万民の上と、万国の上に立て、あなたに、あるいは抜き、あるいはこわし、あるいは滅ぼし、あるいは倒し、あるいは建て、あるいは植えさせる」。(エレミヤ書1:10)

心はよろずの物よりも偽るもので、はなはだしく悪に染まっている。だれがこれを、よく知ることができようか。「主であるわたしは心を探り、思いを試みる。(エレミヤ書17:9~10)

主はこう言われる、「…再びわたしはあなたを建てる、あなたは建てられる。…」(エレミヤ書31:4)


エレミヤは、打ち壊し再び建て直すための道具として主に召された預言者であった、と思う。
教会では賜物をもって仕える等と良く言うが、真に仕えることの出来るのは主が用いて下さる場合だけである。仕えるという時、自分の秀でたところ、誇りとするところで心地良く仕えるイメージがあるが、そういったところだけが用いられるとは限らない。自分の望まぬあり方で意に染まぬまま用いられる場合もある。用いるのは、主である。主によって打ち壊され建て直された者だけが、主によってのみ用いられる者となる。


主は愛する者を訓練し、
受けいれるすべての子を
むち打たれるのである。(ヘブル人への手紙12:6)