風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

讃美歌と教会堂ーあるご婦人の葬儀から


今年の春先、ご高齢の教会員が亡くなられた。晩年、不遇の身となられ、施設に入っておられた。施設から車椅子で礼拝に来ておられたのが、最後の1,2年来られなくなっていた。それが、昨年のちょうど今頃、インフルエンザの予防接種の帰りに「どうしても教会に行きたいと無理を言って施設の方に連れてきて貰いました」と、平日の午後に来られた。礼拝のある朝のいつもの会堂とは違う午後の会堂で、日が傾いていく中、しばらくおられた。この方の血筋にあたる方が設計された前の会堂を模して造られたという正面のゆるやかなアーチの辺りに、神を見ておられたのだろうか?それとも光の移ろいの中で、神に見えておられたのだろうか?会堂に入るなり、「あぁ〜、あぁ〜」と言葉にならない感嘆の声を発しながら、「いつまでもいつまでもここに居たい」そんな風に言っておられるように思えた。「冷えてくるから、もう帰らなくては、ね」ー誰が言ったのだったろう?私が言ったのだったろうか?その声に促されて、帰る心の準備をされたように思えた。

それから4か月後だったか、急に亡くなられたという連絡が入った。ちょうど夫が出張で留守の折、近しいお身内が遠くにおられたので連絡もなかなかスムーズにとれなかったのだが、なんとか教会にご遺体を運んでいただき、あれほど来たがっていた教会から神様の御元に送ることができた。

その方が礼拝に来られた時は傍についていたのだが、ある日の礼拝の後、「私、この讃美歌大好き」と言われたことがあった。説教の間眠っていても、覚えている讃美歌が始まると目を閉じたまま口ずさんでおられた。「好きだっていう讃美歌、何番だったろう?あの時ちゃんとメモしておくべきだった」と悔やんでいるところへ、京都のお身内から電話が入った。「姉は100歳と8か月になります。葬儀に私は行けそうにないので、好きだった讃美歌を伝えたいと思い電話しました」と。「しずけきかわのきしべを〜」520番。船で川を下るとき、いつも口ずさんでおられたのだそうだ。讃美歌がいつも傍らにあったんだなぁと思う。

与謝野晶子の歌を思い浮かべた。
紀伊の山たためる物をひらき行く心地するかな川船に居て
熊野川船のあゆみの遅々としてよしなしごとに涙こぼるる


この、520番の3節の歌詞はこうなっている。

うれしや十字架のうえにわがつみは死にき
すくいの道あゆむ身はますらおのごとくに
こころ(こころ)安し(安し)、神によりて安し

この讃美歌を歌いながら、Tさんはどういった「我が罪」を感知しておられたのだろうと、ふと思った。

牧師がTさんの葬儀のために用意した聖書の御言葉は、「万軍の主よ、あなたのすまいはいかに麗しいことでしょう。」から始まる詩編の御言葉だった。

晩年不遇だったTさんだが、こんな風に弔われることもなく多くの子ども達が死んでゆくニュースを耳にする時代となった。ドストエフスキーの時代にも増して。