風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた」と讃美歌102番

神は自分の言葉の中にいるが、新約聖書および旧約聖書の襁褓にくるまれて、ベツレヘムのまぐさ桶の中で、経験論的な歴史上の人物であるナザレのイエスの背後に身を隠し、決して直接人間の手の中、人間の権力の中には赴かないのである。
フロマートカ=著『神学入門 プロテスタント神学の転換点』(新教出版社)より

讃美歌102
1 もろびと声あげよろこび称えよ、かみのめぐみ この世に現われ
  ダビデの村のいぶせき馬屋に、きよき御子はうまれたもぅ。
2 もろびと声あげ喜びたたえよ、あめのとびら今しも開かれ
  つきぬめぐみを身に帯び給いて、きよきみ子はうまれたもぅ。
3 もろびと声あげ喜びたたえよ、死のおそれを追いやりたまいて
  よき音ずれをあまねく伝うるきよきみ子はうまれたもぅ。

生誕ののち数時間イエズスはもつとも小さな箱にいましぬ 葛原妙子『をがたま』
イエス・キリストは、皇帝アウグストゥスの住民登録の勅令に従ってナザレからベツレヘムに向かった旅の途上でお生まれになった。そして生まれるとすぐに、イエスを殺害しようとするユダヤの王ヘロデの手から逃れるために、神の言葉に従った両親に連れられてエジプトへと向かう。
エスは、世の権力者達がその権力を誇り、罪が蔓延り、悪が猛威をふるっている中にひっそりと生まれ、もっとも小さな箱に寝かされたのである。

彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。(ルカによる福音書2:6~7)

讃美歌109
きよしこのよる星はひかり
すくいのみ子はまぶねの中に
ねむりたもぅ いとやすく