風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

色をいただく

まだほとんど咲いていないのに、桜の木々達が薄紅色にけむっていた。
志村ふくみさんの『色を奏でる』(ちくま文庫の中の一節を思い浮かべる。

雪の中でじっと春を待って芽吹きの準備をしている樹々が、その幹や枝に貯えている色をしっかり受けとめて、織の中に生かす。その道程がなくては、自然を犯すことになる。蕾のびっしりついた早春の梅の枝の花になる命をいただくのである。・・。
私たちは、どうかしてその色を生かしたい、その主張を聞きとどけたいと思う。その色と他の色を交ぜることはできない。梅と桜を交ぜて新しい色をつくることはできない。それは梅や桜を犯すことである。

花びらで染めようと思っても、すでに咲いてしまった花から色は出ないという。花を咲かす前のゴツゴツとした皮や幹を煮出して染めるのだという。
娘は梅が好きだが、私はやはり桜が好きだ。花ではなく葉が匂うところにも何か心惹かれる。ハーブなどは花より葉が匂うもののほうが多いけれど、桜の香りの精も、花にではなく葉に宿っているようだ。

梅を見に母の郷里に帰ると云ふ平成生まれの二十歳の娘