きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。(宮沢賢治=作『銀河鉄道の夜』より)
宮沢賢治もドストエフスキーを読んではいただろうが・・、『カラマーゾフの兄弟』の最後を読んでいると、『銀河鉄道の夜』に何か似ている、と思う。
「どこまでも一緒に行こう」とか、「いつまでもこうやって、一生、手をつないで行きましょう!」という言葉に表されている昂揚感というようなものが、なのかも知れない。
しかし、『銀河鉄道の夜』では、一緒に行こうとしたカムパネルラの姿は消えるのだ。
「ねぇ、みんな、僕はここで、ほかならぬこの場所で、みんなに一言話しておきたいんだけど」
少年たちは彼をとりかこみ、すぐに期待にみちた食い入るような眼差しを注いだ。
「みなさん、僕たちは間もなくお別れします。僕はさしあたり今、もうしばらくの間は二人の兄についていてあげるけど、一人の兄は流刑に行くし、もう一人は死の床についています。でも、もうすぐ僕はこの町を立ち去ります。たぶん非常に永い間。だから、いよいよお別れなんです、みなさん。このイリューシャの石のそばで、僕たちは第一にイリューシャを、第二にお互いにみんなのことを、決して忘れないと約束しようじゃありませんか。(略)」「きっとそうなりますとも、カラマーゾフさん、あなたの言葉はよくわかります、カラマーゾフさん!」目をきらりとさせて、コーリャが叫んだ。少年たちは感動して、やはり何か言いたそうにしたが、感激の目でじっと弁士を見つめたまま、我慢していた。
「僕がこんなことを言うのは、僕らがわるい人間になることを恐れるからです」アリョーシャはつづけた。「でも、なぜわるい人間になる必要があるでしょう、そうじゃありませんか、みなさん?僕たちは何よりもまず第一に、善良に、それから正直になって、さらにお互いにみんなのことを決して忘れないようにしましょう。このことを僕はあらためてくりかえしておきます。僕は君たちのだれ一人として忘れないことを約束します。今僕を見つめている一人ひとりの顔を、僕はたとえ三十年後にでも思いだすでしょう。(略)」
(中略)
「カラマーゾフさん!」コーリャが叫んだ。「僕たちみんな死者の世界から立ちあがり、よみがえって、またお互いにみんなと、イリューシェチカとも会えるって、宗教は言ってますけど、あれは本当ですか?」
「必ずよみがえりますとも。必ず再会して、それまでのことをみんなお互いに楽しく、嬉しく語り合うんです」半ば笑いながら、半ば感激に包まれて、アリョーシャが答えた。
「ああ、そうなったら、どんなにすてきだろう!」コーリャの口からこんな叫びがほとばしった。
「さ、それじゃ話はこれで終りにして、追善供養に行きましょう。ホットケーキを食べるからといって、気にすることはないんですよ。だって昔からの古い習慣だし、良い面もあるんだから」アリョーシャは笑いだした。
「さ、行きましょう!今度は手をつないで行きましょうね」
「いつまでもこうやって、一生、手をつないで行きましょう! カラマーゾフ万歳!」もう一度コーリャが感激して絶叫し、少年たち全員がもう一度その叫びに和した。(ドストエフスキー=作『カラマーゾフの兄弟』より)
『銀河鉄道の夜』の初期型では、ブルカニロ博士が、「おまえはもう夢の鉄道の中でなしに、ほんとうの世界の火やはげしい波の中を大股にまっすぐに歩いて行かなければいけない」と言ってジョバンニを現実へと引き戻すが、私たちの人生も「続いて行く」のだ、ということを思わされるのである。
同様に、大地にひれ伏し、立ちあがった後も、アリョーシャも生きていくということなのだ。ただ、アリョーシャは一生変わらぬ堅固な闘士となって生きるのである。