三月
いづこよりきたるかなしみ岩肌を削りて碧く河を染めゆく
コバルトが地に多からば人間の血も碧くなりたらむと云ふ
眠れるもの地表に出づる戸惑ひのいづれの日にかあらはとなりぬ
果無しの山見ゆるまま三月を行けば流れ来 河のごとくに
被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる。(ローマ人への手紙8:19)
田も畑も見渡す限り沼となり遺体浮く見ゆ三月十二日 金野友治 2013年作 『震災のうた―1800日の心もよう』(河北新報・2016)
けれども、三月十一日が、震災を思い出す恒例行事のようになってしまうには、まだまだ早すぎると思う。そんな気持ちから、あと何回かは『震災のうた―1800日の心もよう』より、この集が含む五年間の時間の厚みの中から、歌を紹介していきたいと思う。
(略)
この歌は、あたかも現在の景として詠まれている。そして、これまでの金野さんの叙景歌と詠み比べるとき…この歌だけが、忽然と「三月十二日」という場所にずっと存在しているような印象を受ける。おそらく、作者が2013年に至るまで詠えなかった光景であり、その間、変化する風景のなかに、作者がずっと見ていた光景でもあったのではないだろうか。「見ゆ」と詠われているのは、今もその光景が見えているのである。
花山周子=文『一首鑑賞 日々のクオリア』(https://sunagoya.com/tanka/?p=20250)より
たれかれの消息にはなし及ぶとき放射線量つもるふくしま 紺野裕子『窓は閉めたままで』(短歌研究社・2017年)
歌集名は、福島の原発事故後に帰宅困難地域の大熊町を通過する際は、窓は閉めたままでいなければならず、警察官が3人一組で監視に立っている。その現実を記憶するために集題にしたとあとがきに記す。
(略)
紺野はあとがきに「私はといえば、自然環境と生きものに甚大な影響を及ぼすであろう放射線量の高さに目を奪われ、宮城や岩手の被災地を訪ねたり、ボランティアに参加することはなかった。心がけて読み、見ていたにすぎない」と記す。距離感を保ちつつ、しずかに記録された作品群には、当事者からの声とはまた別の意味がある。
生沼義朗=文『一首鑑賞 日々のクオリア』(https://sunagoya.com/tanka/?p=20257)より
三月の海見えぬやう雛飾る
震災忌野にも海にも雪ふれる
もの言へぬ三月十一日の朝
『光声の徒然日記』(http://kousei-51.hatenablog.com/search?q=%E4%B8%89%E6%9C%88)より
春場所や地震恐れつつ忘れつつ
— いらくさ (@irakusaa) 2019年3月12日
三月場所や兄弟の名を誦ず
多く語らぬ力士らの春動く https://t.co/Ow4fkrITZI#俳句 #fhaiku #haiku #kigo
讃美歌21ー425
2 大地震も、嵐も、稲光も、造られた方に助け求める。
4 飢え、渇き、病と、浪費の世に、造られたものは癒し求める。
過ちも悔いもそのまま積み込んで果てしなく続く人間の営為を思えば、悲しい。