風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

芳賀言太郎のエッセイ「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1600km」第28回

「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いたサンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路1600km」第28回

第28話 ガリシアアルケミスト

 セブレイロ峠を越え、ガリシア州に入ったとたん、急に緑が多くなった。山々の緑は濃く、巡礼路も木々によって覆われている。ガリシア州は年間を通して降雨量が多く、自然が豊かである。今朝も雨がしとしとと降り、日本の梅雨のような感じもする。
 トリアカステーラからサリアまでの巡礼路は2つある。一つはリオカボ峠(Alto de Riocabo:標高905 m)を越える山の道、もう一つはオリビオ川沿いを行き、由緒あるサモス(Samos)修道院を経由する谷の道である。前者は18kmと距離が短いが標高差 があり、後者は比較的平坦ではあるが23kmと距離が長いのが特徴である。
 私は前者を選んだ。最初はサモス修道院に行くつもりであったが、…。アスファルトの道を歩くのが嫌だっただけかもしれないが、なんとなく右のトレッキングルートのような山道に魅かれるものを感じたのである。

アルケミストについての記述部分、略)

 サリアは12世紀末、それまでは要塞を中心とした小さな集落であったこの地に、レオン王アルフォンソ9世が開いた町である。(中略)

 ここでサンティアゴ・デ・コンポステーラまで残り114km。(中略)

(写真等、多数枚略しています。リンク先に直接行ってご覧ください。ミルトス)

 ポルトマリンは、現在は丘の上に位置しているが、かつてはミーニョ川のたもとにあった。1960年代に下流でベレサール・ダムが建設された際に現在の位置に移転した経緯を持つ。
 …。…。ダム建設の際に教会は移築されたものの、石橋はダム湖に沈み、 現在は水位の下がった時にのみ見ることができる。サン・ニコラス教会は新しい町の中心にある公園に置かれ、今も教会堂として用いられている。しかし、私にはなんとなくモニュメントのような感じがしてしまう。むしろ湖に沈んだ石橋の方がはるかに建築物としての存在感があったのではないか。…。もちろん、記念碑として存在することに意味もある。しかし、移築されずそのまま湖底に沈んでいた方が、サン・ニコラス教会はより強烈な存在感を人の心に残したのではないだろうか。(抜粋引用)


[[[[

胡瓜草虫草爪草耳菜草仲間はずれはキュウリグサかも

この春は雨が多い。連日雨である。
会堂のヤマモモの木の下が小さな小さな花達の花畑になっていて、写真に撮って、花の名前を調べた。

キュウリグサはここにはなく、近くの歩道の敷石のすき間に花を咲かせている。
キュウリグサムラサキ科の花で、ワスレナグサの原種だろうと思われる。
(やっぱり原種ではなさそうだ。属が違う。でも、道端から貰って来たこの写真のも、ワスレナグサについている学名のサソリの尻尾のように花の先っぽがくるんと巻いてくるんだけど・・?仲間であることに間違いないとは思うけど。)