風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

汁(つゆ)に落として

玉子ひとつ汁に落として花菜雨

家に誰も居なくて、雨が降っていると、買い物に出るのも面倒になって、残り物の汁にご飯と玉子を入れて夕飯を済ませたりする。私は一人だとまともに料理もしないだろうなと思ってしまう。

そんなことを考えていて、ちひろの言葉を思い浮かべた。


 人はよく若かったときのことを、とくに女の人は娘ざかりの美しかったころのことを何にもましていい時であったように語ります。・・。
 ・・。若かったころ、たのしく遊んでいながら、ふと空しさが風のように心をよぎっていくことがありました。親からちゃんと愛されているのに、親たちの小さな欠点が見えてゆるせなかったこともありました。いま私はちょうど逆の立場になって、私の若いときによく似た欠点だらけの息子を愛し、めんどうな夫がたいせつで、半身不随の病気の母にできるだけのことをしたいのです。これはきっと私が自分の力でこの世をわたっていく大人になったせいだと思うのです。大人というものはどんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることなんだと思います。(いわさきちひろ=著『ちひろのことば』講談社文庫)


この言葉を思い出したのは、自分が愛せるようになったと思ったからではない。普段「めんどうな人だ」と思っている存在によって支えられていると思ったからだ。


卵というとケーキやオムレツに使う白いののイメージだが、玉子というと、籠に盛って売っていた昔のお店の茶色いのを思い浮かべる。