Hiroh K I K A I
Tokyo View
大きさ、手ざわり、写真を取り巻くフレームの目を疲れさせない微妙な色合い、どれも素晴らしい。もちろん、写真も。そして一枚一枚につけられたタイトルも。
教会の二つの建物に次々と不具合が見つかり、修繕しながら保存するか取り壊すか決断を迫られている。
私自身の人生にも、目に見えるもの、目には見えない様々なものが澱のように堆積している。「捨てる」という言葉を簡単に口にする人がいるが、捨てるのも大変な世の中になって、そう簡単には捨てることも出来ない。処分するにはお金もかかる。
一方で、非正規雇用が増え、指導することも育てることもしないで、人間を使い捨てにする時代である。
生活をしていく、生きていくというのは綺麗事では済まない部分が多くある。汚い部分を切り捨てればそれで平穏でいられるというあり方にも疑問を感じる。
ちょうどそんな時に、写真集が届いた。ゆっくりとページを繰って、一枚、一枚、写真を見ていると気持ちが徐々に宥められていくようだ。
「生きるっていうのは、こういうことだよ」と、肯定されている気がした。
アクセントはどこから来るか。彼がいつも同時に捉え、凝縮させるふたつの次元の独特の隔たりから来る。まず、猥雑な細部をいっぱいに湛えた街の無数の断片がある。それらを生み出し、そのなかで生き続ける人間たちへの強い愛着、痛ましいまでの親しみ、祈りのように起こってくる共感、そうした心情が鬼海弘雄のなかに生まれ続けていることは、人生ひととおりの経験がある者なら、誰にもわかるだろう。(前田英樹=文「鬼海弘雄と街の深さ」(写真集あとがき)より抜粋引用)
写真集の詳しい内容は以下をクリックしてご覧ください。
わたしは、都の中に神殿を見なかった。全能者である神、主と小羊とが都の神殿だからである。(ヨハネ黙示録21:22)
● 鬼海弘雄写真集 TOKYO VIEW 「東京模様」
この日から後、この町の名は『主そこにいます』と呼ばれる。(エゼキエル書 48:35)
草は枯れ、花はしぼむ。しかし、われわれの神の言葉はとこしえに変ることはない。(イザヤ書40:8)
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