風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『あの日』小保方晴子=著(講談社)

正義と恵みの業を行い わが民を追い立てることをやめよ と主なる神は言われる。(エゼキエル45:9)

『あの日』小保方晴子=著(講談社

私は過去記事の中で、「小保方さんのSTAP現象と、『ピアジェのモノアラ貝の環境への遺伝子レベルでの適応論』が似ているようだ」と書いた。ピアジェのモノアラ貝の論文は、ピアジェ発達心理学者となる前、生物学者を目指していた十代の頃に書かれたもので、その論文が書かれた50年後に、ウォディントンの『進化論者の進化』の中で評価されたというものである。

ウォディントンという名前は、STAP問題が白熱した2014年に新聞に掲載された中村桂子氏の文中に出てくる。


 「いい論文だね」と仲間と話し合った。古典と言われるウォディントン(英国の生物学者)の細胞分化の概念の紹介で始まる。新発見のデータの後に、サンショウウオの細胞を酸性にしたら、神経系の自発的変化が起きたという1947年の研究紹介もある。みごとだ。でも本当にこれで、体細胞が「初期化」(受精卵のようにあらゆる組織・臓器になる)するのかしら。追試を期待して話は終わった。(2014年4月14日毎日新聞記事特集「STAP細胞問題」中、中村桂子=文「予算の決め方おかしい」より冒頭部分を抜粋引用)


これは、小保方晴子さんの博士論文について中村氏が紹介したものである。残念ながらこの博士論文は今では認められず、博士号も小保方さんは剥奪されている。が、『あの日』を読んで私は、小保方さんのSTAP(刺激惹起性多能性獲得)研究に一貫して貫かれているものが、「ウォディントンの細胞分化の概念」から始まっていると思ったのだった。

 とにかく論文を読んだ。2008年から幹細胞生物学の歴史を遡っていくと、100年近く前の、幹細胞の概念が確立されていなかった頃の発生学の論文にまでたどり着いた。まだ近代的な解析技術が確立されていない時代の「現象の観察」のみから書かれた論文は、研究者の自由な発想がそのまま記述されていて、その洞察の深さに強く感化された。観察された現象の不思議さと自然の法則とのつながりを広い視野でとらえた数多くの論文に触れることができ、古い文献を読み込むうちに、凝り固まっていた自分の思考が解放されていくのを感じた。自分なら同じ現象を観察してどんな意見を持つだろうかと空想し、まるで初めて宇宙を見たような、そんな感覚に包まれていた。…。
 2008年までの間、どんな考えが発表され、学術界で流行の潮流を作っていったのか、その間どのような学説が間引かれていったのか、一日に20報以上の論文を読み、新しい知識を入れ、自分なりの考えをまとめる作業は楽しく、時間を忘れるほどだった。なにより、科学の根本にある自然の法則にもとづく研究者の発想の自由さ深遠さに触れることができたことは貴重な体験だった。(小保方晴子=著『あの日』「第三章スフェア細胞」(講談社)より抜粋引用)

この部分は、小保方さんがバカンティ氏からの課題に答えるべく古い文献にあたっている場面の記述である。ピアジェのモノアラ貝の論文については出てこないが、おそらく読んだであろうと私は思う。

ピアジェのモノアラ貝の研究というのは、自然にあるモノアラ貝を観察したものである。波の静かなところにいるモノアラ貝は長く、波の高いところにいるモノアラ貝は縮んでいる。それらを水槽に入れて育てると、その子孫は元の波の静かなところにあったように長くなる、というのだ。この場合は遺伝子的には変化していないということだが、レマン湖・ニューシャテル湖・ボーデン湖のような大きな湖の波の高いところにいるものを水槽の中で育てると縮んだ形を保持するという。この観察から、ピアジェは、「環境によって構成された表現型の形態が同じ形態の遺伝子型によって置き換えられる」場合があるということを論文に纏めているようだ。


理研CDBのユニットリーダーの面接の場面が、『あの日』には、次のように書かれている。

 …。「じゃあ、はじめて」と言われて、プレゼンテーションをはじめた。若山研で実験してきたこと以外に、常に自分の研究の興味の中心にあった、分化した細胞の柔軟性と幹細胞性の関連について、ストレスを受けた後の細胞の変化過程の生物学的意義を研究していきたいと考えていることを中心に話をした。
(中略)
 …。結果はどうであれ、著名な先生たちに、分化した細胞の柔軟性と幹細胞性の関連について、ストレスを受けた後の細胞の変化過程の生物学的意義を厳密に研究していきたいという自分の考えをぶつけられたのはいい経験になったと思えた。(『あの日』より)

この短い面接について書かれた中に、同じことが二度繰り返し書かれてある。ここから、「分化した細胞の柔軟性と幹細胞性の関連について、ストレスを受けた後の細胞の変化過程の生物学的意義の研究」というものが、小保方さんにとってどれだけ大切なテーマであったかということが分かるだろう。
けれど、こういったテーマを指向する性質はもともと持っていたものだと思う。女子医大で口腔粘膜上皮細胞に関する研究テーマを与えられた際に、拒絶反応を起こさない「自家移植」にこだわって、困難な若齢ラットの口腔粘膜の自家移植に取り組んでいる。

 ラットもヒトと同じように、他のラットの組織を移植されると拒絶反応を起こす。自分の組織を自分に移植することは「自家移植」といい、同種の動物間である個体の組織を他の個体に移植することは「他家移植」と呼ばれる。この研究を始める当初の先生との話し合いでは、実験に使用することを予定していた若齢のラットの口は最大でも1センチほどしか開かないため、ラットを生かしたまま、培養に必要な量の口腔粘膜組織をほほの内側から採取することは不可能だと言われた。実験動物として用いられるラットにも系統が何種類も存在するが、ルイスラットという種類のラットは、他家移植をしても、拒絶反応が起きにくいことが報告されていた。そのため、先生からは、このルイスラットを用いた「他家移植」による実験系を提案されていた。しかし、この提案を受けても、私はどうしても、口腔粘膜を用いるからこそ、組織を採取する患者さんへの負担が少なく、自分の細胞を用いることができるので拒絶反応がおこらないという、この研究の原点にある角膜治療研究の根本の価値となる原理を崩したくなかった。自家移植にこだわりたい。無知であるがゆえに、沸き起こるチャレンジ精神が背中を押した。(『あの日』より)

小保方さんは、遺伝子そのものを操作するのではなく自然の法則に出来る限り近づけた形の研究を指向していたのだと思う。そしてこれは、笹井氏が指向していたものでもあったと思われる。この面接のすぐ後に小保方さんは、「もう一度面接室に戻ってきてください」と連絡を受け、そこで笹井氏に出会うのである。その時の笹井氏の言葉が、「はじめまして。笹井です。あなたの希望の研究をするために、とにかく今の論文を終わらせましょう」だった。
その後も、笹井氏は、「いい観点からの研究だと思うよ。あなたの本当にやりたいことが早くできるように、…」、「あなたの本当にしたい研究ができる環境が整い、あなたらしさが開花することを何より望んでいる」、「でもこの論文さえ終われば、…自分のやりたかった研究を思い切りすることができる。…だから最後まで投げ出さずに頑張りましょう」と小保方さんを励ます言葉をかけている。

そしてSTAP現象発見の記者発表の前日、笹井氏はこんなことを小保方さんに語りかけるのだ。

「…。科学の神様はね、ときどきしか見せてくれないんだけど、チラッと扉の向こうを見せてくれる瞬間があってね、そこを捉えられる人間は神様に選ばれているんだよ。…。その美しい神の世界を人間にわかる言葉に翻訳するのが科学者の仕事なんだよ。…。人間の考えつく範囲での発明は限界があってね、しょせん人間の思いつくレベルでの議論になってしまうでしょ。だから僕は神の作った生命と向き合う発生学が好きなんだ」(『あの日』(講談社)より)

不器用なために生物学者になることを断念し、発達心理学者になったピアジェが提唱したのも発生的認識論であった。


けれど、小保方さんの過去の論文に不正があるというメールが届き、ネイチャー誌に掲載した写真に間違いがあったことに自ら気づき報告するあたりから先は、まさしく坂道を転がり落ちて行くようで、所々捲ってちらちら読んでも、とてもまともには読めそうにない。もし自分の娘が不注意で間違ったためだけで、こんな過酷な状況に追い込まれるとしたらと考えると、本当に堪らない気持になる。

みまはせばかなしきことのみおほかりて春の夢中に君を抱きぬ