昨年5月の新聞に、「(大人は)私たち子供に、核爆弾入りの国土をプレゼントしているのとなんら変わりないではないか」という14歳の少女の投稿文が掲載された。
原子力問題については、私自身にも、ここに至るまであまり関心を示してこなかったという罪の意識がある。
十数年前、故郷の沿岸に原発施設を建設する動きがあると聞いて「嫌だなぁ〜」と思った。けれど、そう思いはしたものの、私自身はそれで何か行動したかというと何もしなかった。幸い他の誰かが行動してくれたお蔭で建設はされなかったが・・。
もっと遡って、山の中の小さな学校で教員をしていた時、子どものアトピーのために都会から引っ越してきたという一家があって、ある時、原発反対運動に子どもも連れて行くから学校を休ませるということがあった。その両親は、鶏を飼い田畑を作り、衣類の洗濯に使う洗剤から原発のことに至るまで、子どものアトピーをきっかけに拘り抜いて行動していたのだ。
私にもアトピーの子どもが生まれて、以来様々なものに拘ってきたが、それでも原発についてはほとんど注意を払わないで来た。
その後、この一家はもっと良い地を求めて引っ越して行ったと聞いたが、周りから変わり者と思われようが自分達の信念に従って行動して来たこのような人達のお蔭で、今、紀南の地に原子力発電所は建てられていない。
私の中にこのような一つの悔いが残っている。だから、発信し続けなければならない、と思う。