風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

ソーニャ(ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ) − ドストエフスキー『罪と罰』35

智恵や叡智を表す「ソフィア(Sofia)」は、ロシア語では「София(Sofiya)」と表記するようである。そのためか、岩波文庫の江川訳『罪と罰』では、ソーニャをソフィヤセミョーノヴナ・マルメラードワ」としている。

 

お察しのとおり、ソーニャは、教育はまるで受けませんでした。四年ほど前でしたか、私が地理と万国史を教えにかかったんですが、私自身だいぶ怪しいうえにちゃんとした参考書もなかったりで。(岩波文庫罪と罰 上』p40)

 

 たんすの上に一冊の本がのっていた。そのそばを行きつ戻りつするたびに、彼はその本が気になっていたが、とうとう手に取って見た。それはロシア語訳の新約聖書だった。古びた、手ずれのした、革表紙の本だった。

 「これはどこで?」部屋の端から彼は声をかけた。彼女はあいかわらず、テーブルから三歩ほどはなれた元の場所に立っていた。

 「持ってきてくれたんです」彼女は気がすすまぬらしく、彼のほうをふり返ろうともしないで答えた。

 「だれが?」

 「リザヴェータが持ってきてくれました。わたしが頼んだので」(『罪と罰 中』p281)

 

 彼の枕の下には福音書があった。彼は無意識にそれを手にした。この本は彼女のだった。彼女がラザロの復活を彼に読んでくれたあの福音書だった。徒刑生活の最初のころ、彼女が宗教で自分を悩まし、福音書の話をはじめ、自分に本を押しつけるのではないか、と考えたことがあった。だが、まったく驚いたことに、彼女は一度もその話をしようとせず、一度として彼に福音書をすすめようとさえしなかった。病気にかかるすこし前、彼は自分から彼女に頼んだのだった。彼女は黙って聖書を持ってきた。今日まで、彼はそれを開いて見ようともしなかった。

 いまも彼は、それを開こうとはしなかった。(『罪と罰 下』p403)

 

 

あなたがたは聖書の中に永遠の命があると考えて、聖書を調べているが、聖書は私について証しをするものだ。(ヨハネによる福音書5:39 聖書協会共同訳)

 

知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠されています。(コロサイの信徒への手紙2:3)

 

あなたがたがキリスト・イエスにあるのは、神によるのです。キリストは、私たちにとって神の知恵となり、義と聖と贖いとなられたのです。(コリントの信徒への手紙一1:30)

 

義なるわがしもべはその知識によって、多くの人を義とし、また彼らの不義を負う。(イザヤ書53:11 口語訳)