風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

パントテン酸とナイアシンの割合

夫の入院中に、夕食に豚しゃぶをしようと“しゃぶしゃぶ”用の肩ロース肉を買いに行ったのだが、少量パックがロース肉しかなくて、「ロースでもいいかな?」と言いながら豚ロースを買って帰った。その夕食後、私は頭がもわもわして具合が悪くなり、翌朝は頭痛がしたのだった。「ナイアシンのせいだな」と思い、それにしてもナイアシンの含有だけなら豚ロースなんかより鶏ササミの方がずっと多いのにササミを食べてもこんな風に具合が悪くなることはないのはどうしてだろうと思い、パントテン酸との割合を調べてみたのだった。

するとやはり、普段から忌避している豚ロースや鶏むね肉のパントテン酸ナイアシンの含有割合がナイアシンの方が高くなっている。含有量そのものより、一緒に摂る他の栄養素との割合で働き方が違ってくるからだと考えられる。

たとえば、ビタミンB6は豚ロースより鶏むね肉の方が多い。そして鶏むね肉よりササミの方がさらにB6は多く含まれている。
また、牛もも赤身肉のナイアシン含有は豚ロースよりも多いのだが、パントテン酸との割合で言えば豚ロースよりもナイアシン含有率が低い。牛もも肉のB6は鶏むね肉より少ないのだが、亜鉛の含有量が鶏むね肉やササミより圧倒的に多い。こういったところから作用の仕方が違ってくるのだと思われる。また、このような作用は摂取した人によっても現れ方が違ってくる、といえる。私は、元々、ナイアシンを多く摂りすぎると具合が悪くなる体質なのだ。


新しく買った栄養学の本に、「ビタミンB6の欠乏症としては、…、聴覚過敏、…などが知られている」(川端輝江=編著『しっかり学べる!栄養学』)と記されていた。
中村丁次=監修『栄養成分バイブル』の「亜鉛」の項に「味覚、嗅覚を正常に保つ」と記されているし、亜鉛は感覚器の受容体に関係していると思っていたので、聴覚過敏も亜鉛不足で起こっていると考えていたのだ(もちろん、亜鉛も関係しているかも知れない)が、B6不足が関わっていると知って、今になって納得している。

ナイアシンの多いタラコを食べたのが今年1月に入ってからだったと思い込んでいたのだが、12月の初めにタラコを送って戴いて、昨年12月の半ば頃からすでに食べ始めていたことが分かった。その後に鶏むね肉料理に嵌って頻繁に作っていたが、過去記事を見てみると、1月2日の記事で「最近、鶏のむね肉に嵌っている」と、すでに書いていたのだ。だから、昨年末から今年の初めにかけてナイアシンの多い物を摂り続けていたということになる。

夫が浄化槽のブロアーの音が気になって北西の部屋で眠れなくなり、南東の部屋に移動したのは昨年末だったと思っていたが、「B6不足で聴覚過敏になる」ことが分かって、これで辻褄が合うと思ったのだった。つまり、ナイアシンを摂りすぎたせいでビタミンB6不足になり、聴覚過敏に陥ったのだ。

ナイアシンとビタミンB6の関連については、「ナイアシン過剰と腎不全」で詳しく書いていきたいと思う。これには亜鉛不足も関係していると考えている。

● NHK-BS『昭和の選択』(石橋湛山特集)と『河野洋平インタビュー』(毎日新聞)、それに『0826再稼働反対!首相官邸前抗議』
今日の午後 公的年金の源資を管理するGPIFが4〜6月に5兆円の運用損を出していたことが発表されました。7月末に昨年度の運用損が5兆円というのが報道されたばかりですが、今度は3か月で5兆円です。
14年に株式の運用を倍にしてからの通算も約1兆の赤字に転落しました。完全にアベノミクスのツケです。偉そうにしていた化けの皮がどんどん剥がれています。デフレ脱却は失敗、実質賃金は下がりっぱなし、運用損は累計1兆円、正社員の雇用は殆ど増えない、これだけ失政が続いても有効に攻められない野党も情けないですが、これで平気な国民にもあきれ返ります。
(中略)
ということで今週も再稼働反対の官邸前抗議へ
今日の午後6時の気温は30度(笑)。台風前の東京は蒸し風呂のような暑さです。参加者は主催者発表で900人。また少しずつ活気が増してきたようにも思いました。
今日 鹿児島県の三田園知事が九電に川内原発の停止を申し入れました。知事に法的な停止権限はないことをとやかく言っている阿呆が居ます。でも川内はまともな避難道路もないのに再稼働をしている。住民の命を守ることが仕事である地元の首長として声を挙げるのは当然でしょう。沖縄の翁長知事もそうですが、これから三田園知事を一人にさせてはいけないと思うんですよ。地元の目先の経済だってあるから、もしかしたら何か妥協を図らなければいけない時もあるかもしれない。…。困難に直面した時こそ市民の側も知事と一緒に現実的な見地に立てるか。石橋湛山のように理想と現実主義を両立させて一歩でも前へ進む知恵があるかが、我々一人一人に問われてくると思います。(抜粋引用)