風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

塩をください!

味のない物をもつけずに食べられようか。玉子の白身に味があろうか。 (ヨブ記6:6)

銀は百キカルまで、小麦は百コルまで、ぶどう酒は百バトまで、油は百バトまで、塩は制限なく与えられる。エズラ記7:22)

穀物の献げ物にはすべて塩をかける。あなたの神との契約の塩を献げ物から絶やすな。献げ物にはすべて塩をかけてささげよ。レビ記2:13)

 

 

夫の経腸栄養剤の味を見てみようと、先ずラコールを開封して飲もうとしたが、私には甘過ぎてとても飲めなかった。捨てようかと思ったが、捨てる場所も考えなければいけないと思い、取り敢えず容器に入れた。ついでにイノラスも開けた。こちらはラコールほど甘くはないが、(本人には匂いは分からないだろうが)何か独特の匂いがしてこれを400mlも胃に入れるのは厳しいものがあると思った。結局、その日は舐めただけで二つ合わせて容器に入れて冷蔵庫に入れた。

翌日だったか、朝起きてエネルギーが欠乏していると思い、この栄養剤にパンを浸して食べた。その後、夫が入院した後も、ほんの少しずつエネルギー補給に飲んでいたが、これらには魚油が入っているので、あまり置いておくと酸化すると思い、その後トイレに捨てた。

カロリーメイトは割と好きだったんだけど、ね。

 

さて今日は、朝、ハム1枚と納豆のパンを食べて、何かしんどいと思いつつ、夫が入院している間にやっておくべきことをやらなきゃと市役所に行ったりしていたのだが、コーヒーを飲む気にもならなかった。コーヒーじゃない!

お昼に何を食べたいだろう?と自分に問うて、ササミを茹でたスープに乾麺を入れて食べようと思い、そうしたら、これがピッタリはまった。そうだ!塩だったんだ!ナトリウムが足りていなかった!

 

白湯なども一日800mlも飲んでも水分を回す電解質がなければ、体を巡っていかないだろう。しかも、カリウムを血中に留める降圧剤を夫は飲み続けて来たのだ。

やはり塩が足りていなかった。ナトリウム不足で具合が悪くなるという状態をこの10年近く何度も繰り返して来たのに、また同じことをやってしまった。「塩は悪!」という洗脳からどうしたら抜けられるだろうか。

再入院した日、主治医にポカリを試してみても良いと言われていたので、お昼の白湯にポカリを混ぜて入れていて、途中、痰をゲボゲボし始めたので、ブドウ糖が余計だったと思い、白湯だけに切り替えた。その後、主治医が来られ、「私、失敗しました。お昼にポカリと白湯を入れていたんですけど、ポカリのブドウ糖が余計だったと思い、途中で白湯だけに切り替えました。食塩水だけの方が良かったかと」と言うと、「食塩水は・・ダメ・・です」と言う。でも、昨日まで抗生剤を入れた生理的食塩水を入れてたじゃないですか?と思ったが、あまり若いお医者さんを惑わせてはいけないと思い、口にしなかった。

この町の人々はエリシャのところに来て、「御覧のように、この町は住むには良いのですが、水が悪く、土地は不毛です」と訴えた。

彼は、「新しい器を持って来て、それにを入れなさい」と命じた。人々が持って来ると、彼は水の源に出かけて行って塩を投げ込み、「主はこう言われる。『わたしはこの水を清めた。もはやここから死も不毛も起こらない』」と言った。

エリシャの告げた言葉のとおり、水は清くなって今日に至っている。(列王記下2:19~22)

 

この二つの栄養剤のうち、イノラスには、コリンとカルニチンが配合されていて、脂質を分解してエネルギーを造るように造られている。だから、油分が多くカロリーが高い(脂質の1g当たりのエネルギー産生量は9kcal)。

ラコールには精製白糖がダイレクトに入っていて、どちらかというとブドウ糖を分解してエネルギーを造る設計になっているようだ(糖質1g当たりのエネルギー産生量は4kcal)。

だから、私はこれらを合わせた物をちびりちびり飲んでいて、いつものように砂糖を入れた甘いコーヒーは飲みたくなくなったのだ。

 

ブドウ糖が体内に吸収されるためにはナトリウムが必要なのだ。ナトリウムが足りなくても糖尿になるだろう。

しかし、こんなことは誰も言わないだろう。塩は体に悪いという常識を覆されたら、若い医師はどうすれば良いか分からなくなるだろうから何も言わなかった。

 

しかし、夫を守るためにはここを突破しなくてはならない。困ったものだ。