日曜日、牧師館の近くで猫が鳴いているので庭の内側にいるんじゃないかと言うので見てみたが、いなかった。
月曜日、リビングのすぐ外で鳴いているように思えるので、外に出てみるがいない。
鳴き声の方にそぉっと近づいて、ふと溝の中を見ると、黒い子猫がいる。側溝にはまり込んで出られなくなったのだろうか?と思い、いったん家に入って、もう一度見に行くと、クリクリの目をしてこちらを見上げている。変だなぁと思って見ていると、クリクリの目の方が動いたら、もう一匹小さいのが姿を現した。こちらの方が弱っているようだ。この子は、その後、雨樋の中に潜り込んだ。
夜、何時頃だったろうか?二階から外を見ると、フェンスの向こうの塀の上を走って猫が一匹、駐車場の入口に飛び降りた。飛び降りた所には黒い子猫の影のようなものが見えた。そして、猫達は下から塀の隙間へと消えていった。
火曜日、朝8時頃、鳴き声はしない。側溝を見て回るが、姿も見えない。
10時過ぎだっただろうか?鳴き声がし始まったので、外に出ると、溝の中を子猫がたったか走ってくる。小さい方が雨樋の中に入ったので、元気な方はさらに走って奥の方まで行き、そこの行き止まりで丸まって震えていた。その前後でカラスの鳴き声がしていたのだった。しかしカラスの声を聞いて震えるというのは何なんだろう。遺伝子に組み込まれているのだろうか?
夕方、猫のことで見えた近所の人と駐輪場の前で立ち話していると、ミャー、ミャーという子猫の鳴き声が高まって、こちらに向かってくる。すると、その声を聞いてか、猫が一匹フェンスの向こうの塀の上を走って出て来た。しかし、私たち人間の気配に気づいて、どちらも引き返していった。
だらだらくっちゃべる井戸端会議ほどくだらないものはない💢
お蔭で子猫たちは帰りそびれただろ💢
水曜日、猫の鳴き声は全くしない。側溝の中を見て回ったが、居そうにない。
昨夜遅く鳴き声がしていたから、建物の隙間の方へ戻っていったのかもしれない。もしかしたら、延々と立ち話をしている人間を警戒して、ここも危険だと察知して居場所をどこかに移したのかもしれない、と思う。建物と建物の間の塀の上にいた親猫らしき猫も姿を消している。
親猫はカラスから守るために子猫たちをうちの側溝に隠したのではないだろうか?
昼間溝の中に隠れて、カラスが寝静まった頃、「ミャー、ミャー」と鳴いて親猫を呼んでお迎えに来てもらっていたのだ。「ミャー、ミャー、僕たちもうすぐお家?に帰るよ。お迎えに来てね」って(うちの溝は保育所か?)。
なんて賢いのだろうかと思う。人間なんかよりよほど猫の方が賢いだろ!
しかし、人間が罪に堕ちたせいで、この子達も巻き添え食っちゃって。
このようなわけで、一人の人によって罪が世に入り、罪によって死が入り込んだように、死はすべての人に及んだのです。(ローマの信徒への手紙5:12)
「生き物にも及んだ」だろ💢(聖書にも怒る💢)
しかしこの間、どうしたものかと散々頭を悩ませた。
お腹を空かせて死ぬんじゃないか?ミルクを溝に垂らしてみようか?しかし変なものをやってお腹をこわしても良くないか?子猫用のキャットフードはどうだろう?しかし、下手に餌をやって狩りが出来なくなっては逆に生きていけなくなるかもしれない?雨樋の中では雨が降って濡れて死ぬのでは?雨が降らなければ良いが、等々。
そこで、猫のことに詳しい方に電話して相談することにした。
それで、考えをはっきりさせることが出来た。
やはりこれまで通り、私は餌は遣らない、庭に来るのはそのままに来させよう、そういうスタンスを貫くことにした。私の庭ではないのだが・・。
神は彼らを祝福して言われた、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ」。(創世記1:28 口語訳)
罪に堕ちた私たちには生き物を治めること等できはしない。あんな賢い生き物たちを治めるだなんて差し出がましいこと出来るはずがないだろう。それをしっかり自覚して、弁えて行動したいものだ、と思う。
ミャーがいなくなって淋しいなぁ〜。
金曜日の夜、遠くで鳴いているミャーのような声が聞こえていたけど・・?
いつか大きくなって、うちの庭に顔を見せに来てくれたら嬉しいだろうなぁ〜。
でも、雌だったら捕獲されて避妊手術されちゃうかな?
手術代もたないとか、これ以上出せないとか言ってたから、大丈夫か???
猫はミステリアスな存在だ。彼らの頭の中には、我々が気づくこともできないものが、去来している。ウォルター・スコット
何となくビオラに似ていると思うのは、私の気のせいか?
わが魂は絶えいるばかりに主の大庭を慕い、わが心とわが身は生ける神にむかって喜び歌います。(詩篇84:2)