風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

友よ、パンを三つ貸してください(ルカ福音書11:5)

● 『別の世界を作る可能性と必要性』(ケン・ローチ)と『ポピュリズム≒ナショナリズム?』(トマ・ピケティ)、それに『0527 再稼働反対!首相官邸前抗議』&『安倍政権の退陣を求める国会前抗議行動』
『別の世界を作る可能性と必要性』は誰かが与えてくれるものではありません。各自が自分で作り出さなければいけないものだと思います。ひとりひとりの出来ることはミクロでも、その積み重ねこそが社会の空気や風潮を変えていくでしょう。仕事でも生活でもやらなければいけないことはいっぱいあると思います。やらなければ変わらないんでね(笑)。
(中略)
ということで、今週も官邸前抗議へ
今日の午後6時の気温は19度。上着を着てちょうどいいくらい。今日の東京は午前中は大雨でしたが、午後は晴れました。すがすがしいお天気でした。今日の参加者は主催者発表で850人だそうです。
(中略)
そのあと国会前の高校生の応援へ。(抜粋引用)

5月22日の礼拝に来てくださった牧師は、栃木で東日本大震災に遭われ、災害対策委員としてお忙しく活動して来られた先生で、そういった活動が、聖書の御言葉に支えられたものだったということが伝わってくる素晴らしい説教だった。けれど、残念ながら私共の体調が良くなかったので、聞き起こしもできないだろうと思い録音をさせていただかなかった。そこで、以下に説教の聖書箇所と、先生の熊本地震後の訪問報告を写真で掲載してご紹介したいと思う。


その時、主の言葉が彼に臨んで言った、「立ってシドンに属するザレパテへ行って、そこに住みなさい。わたしはそのところのやもめ女に命じてあなたを養わせよう」。そこで彼は立ってザレパテへ行ったが、町の門に着いたとき、ひとりのやもめ女が、その所でたきぎを拾っていた。彼はその女に声をかけて言った、「器に水を少し持ってきて、わたしに飲ませてください」。彼女が行って、それを持ってこようとした時、彼は彼女を呼んで言った、「手に一口のパンを持ってきてください」。彼女は言った、「あなたの神、主は生きておられます。わたしにはパンはありません。ただ、かめに一握りの粉と、びんに少しの油があるだけです。今わたしはたきぎ二、三本を拾い、うちへ帰って、わたしと子供のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです」。エリヤは彼女に言った、「恐れるにはおよばない。行って、あなたが言ったとおりにしなさい。しかしまず、それでわたしのために小さいパンを、一つ作って持ってきなさい。その後、あなたと、あなたの子供のために作りなさい。『主が雨を地のおもてに降らす日まで、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えない』とイスラエルの神、主が言われるからです」。彼女は行って、エリヤが言ったとおりにした。彼女と彼および彼女の家族は久しく食べた。主がエリヤによって言われた言葉のように、かめの粉は尽きず、びんの油は絶えなかった。 (列王記上17:8〜16)

女は、「自分には何も差し上げる物がない」ということを差し出したのだ、と言う。
そうだ、私たちはどんなに無力な中で生きていることだろうと思わされる。けれど、自分の無力を主に訴えて、欠けの多い僅かな力を主に差し出すとき、神様はそれを用いて多くの人々と豊かに分かち合うものとしてくださるのだ。

そして彼らに言われた、「あなたがたのうちのだれかに、友人があるとして、その人のところへ真夜中に行き、『友よ、パンを三つ貸してください。友だちが旅先からわたしのところに着いたのですが、何も出すものがありませんから』と言った場合、彼は内から、『面倒をかけないでくれ。もう戸は締めてしまったし、子供たちもわたしと一緒に床にはいっているので、いま起きて何もあげるわけにはいかない』と言うであろう。しかし、よく聞きなさい、友人だからというのでは起きて与えないが、しきりに願うので、起き上がって必要なものを出してくれるであろう。(ルカによる福音書11:5〜8)

私のインターネット環境は全面的に夫に依存している。もし急変することがあればこのブログもストップする。できる限り更新していこうと思う。