風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

受難週に罪に向き合うー矢口以文=作『詩集イエス』から

 兵卒Cの話

あの男がキリストだったとしても
私には罪がない

私は上官の命令に
従ったまでのことだ

それに死刑は神に委託された人々が
裁判で決めたことだ


 見物人Aの話

芝居でも見るように
弁当と花札をもって
ゴルゴタの丘
出かけていって

つるされた三人が
太陽にさらされて
少しづつ血を流し
あえぎ 苦しみ

そしてぐったりするのを
見ていたー
ある時はしょうぎをしたり
ばくちを打ったりしながらー

その中のひとりが本当に
神の子だったなんて
分からなかったー
そして今でも

分からないだろう
もし仮に 同じことが
もう一度眼の前で
起こったとしてもー


 見物人Bの話

あの方を木につるしたのは
ひとにぎりのユダヤ人たちだ
私はただ黙って見ていただけで
何もしなかった

もし仮に「反対!」と叫んでも
どうにもならなかったはずだ
それ所か そそのかされた群衆が
たけり狂っていたから
そんなことを叫んだら こちらの生命が
危うくなっていたかもしれない


 ある敬虔なユダヤ人の話

裁判や死刑の判決は
政治の領域のことで
霊や救いの事がらとは
関係がないと思っていましたので
賛成も反対もしませんでした。

あの時私は斎戒沐浴を済ませ
いちじくの木の下に座って
心に平安を与えたまえ
救い主をつかわしたまえと祈って
神を賛美しておりました。

矢口以文=作『詩集イエス』(日本基督教団出版局)より