風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

地球温暖化をアピールする原子力産業という説


85歳の投げキッス!(『バート・バカラック東京公演』)と0411 再稼働反対!首相官邸前抗議!

映画『パンドラの約束』 この映画(『パンドラの約束』)は楽観的なことを根拠もなしに並べるだけでしたので、今一でした。正直言うと、少し安心もしました(笑)。(コメント欄より)

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広瀬立成=著『物理学者、ゴミと闘う』(講談社現代新書
槌田敦=著『環境保護運動はどこが間違っているのか?』(宝島社新書)


この2冊については原発事故の後2度紹介しているのだが、先週末原発回帰」の記事が1面に載った新聞の2面で、下の写真のような記事が書かれていたので、もう一度過去記事を掲載することにした。

地球が温暖化されていっているのかどうかということは、どちらが正しいかは私には分からない。しかし、地球温暖化防止のために原発を推進しようと言うのであれば黙って見逃すわけにはいかない。原発を推進しようと言う前に、本当に原発を推進すれば地球を温暖化から救うことができるのかということを問う必要がある。一方では、原発から排出される水によって地球が温暖化されていくという説も聞こえてくるからである。
地球が温暖化されていっているとしても、寒冷化へと向かっていっているとしても、資源をなるべく無駄遣いしないようにしようと考えるのが最も正しい考えではないだろうか。

主婦の関心事の中に「ゴミ問題」は大きな割合を占めると思う。少なくとも私の中ではとても大きな問題であった。これらの本を読むさらに5,6年前には、小学校で始まったゆとり教育の中でPTAのお母さん方が「ゴミのリサイクルやリユース」などについて熱心に子ども達に指導していたのだった。私自身はこの頃からリサイクルやリユースに疑問を持っていた。リサイクルなどする前に、無駄なものを作らなければ良いのではないかと考える人間だったので・・。

ちょっと話は逸れるけれど、誤解されないために、ここで「ゆとり教育」について書いておきたいと思う。私は「ゆとり教育」については今でも肯定派である。
教育というのは国に都合の良い学者を作り出すためのものではない。知識の丸暗記によって学歴を手に入れ、分野によって細かく分断され、世の中の様々な事柄を繋げて考える力を持たない学者を育てることが教育の目的ではないはずだ。
様々な学問は互いに関連し合っており、それぞれがバラバラの状態では存在しえない。自然科学は哲学の中から生まれてきたもののようであるし、物理学は数学に依拠している。自然科学の中で神が証明できるかどうかをテーマとして取り上げる場合もあれば、宗教が倫理的な側面から医学に対して言及することもある。私たちは一つの分野だけを勉強してそれで十分に生きて行くということは不可能なのだと思わされる。
その意味で、教科の枠を取り払い子ども達が調べ、発表し、自ら考えようとする総合の学習を取り入れた「ゆとり教育」は画期的であったと私は思っている。
教育成果等というのはそう簡単に見えるものではない。教育された者が死んでからでもまだ分からないと思えるほどである。それを10年くらいで右に左にとやり方を変えれば、一つの成果が見えたとしても、それがどの教育によるものなのか判断も出来なくなるだろう。
だから私は、子ども達が総合の学習でお母さん達と関わりながらゴミのリサイクルやリユースについて学んだことを否定しているわけではないのである。むしろ、そういった教育の中に娘がいたことは良かったと思っている。

さて、問題は地球温暖化原発である。そのことを考えるためにこの2冊の本をお勧めしたいと思う。

過去記事は以下から
  ↓
http://d.hatena.ne.jp/myrtus77/20120801/p1