風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

夏から秋への私の四句と、米津玄師『まちがいさがし』

 

           無口なる叔父の優しさ晩夏光

 

           手負ひたる猫を濡らして夏の雨

 

           晩夏落日  風に吹かれて泣く人よ

 

           黄昏れて夏の終わりの雨が降る

 

 

 

f:id:myrtus77:20200826173700j:plain

 

 

君の目が貫いた 僕の胸を真っ直ぐ

その日から何もかも 変わり果てた気がした

風に飛ばされそうな 深い春の隅で

退屈なくらいに何気なく傍にいて  米津玄師「まちがいさがし(抜粋)

 

米津玄師のこの曲が好きで載せたいと思ったのだが、春はもう過ぎ去ってしまったと思って、私の夏から秋への四句を載せることにした。

 

 

 

 

 

 

 

米津玄師の「友達よいつの日も愛してるよ きっと」をヨナタンの言葉として捉えると・・

ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結び付き、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。その日、サウルはダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。ヨナタンダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び、着ていた上着を脱いで与え、また自分の装束を、剣、弓、帯に至るまで与えた。(サムエル記上18:1~4 聖書協会共同訳)

 

旧約聖書の人物の中でもサウルの子ヨナタンほど魅力的な人物はいないと思うのだが、ヨナタンとは「ヤーウェ与えたもう」という意味であるようだ。

 

以下、新共同訳聖書 聖書辞典』より抜粋引用。

ヨナタン

[ヤーウェ与えたもう] 旧約中にこの名の人は10数人現れている。

① ダンにおける聖所の祭司となったモーセの孫。

② サウル王の長子。父と力を合わせてペリシテ人の束縛からイスラエルを解放した。ヨナタンは父サウルの過誤を熱涙をもって諫めた。ヨナタンの名はまたその親友ダビデとの友情に関連して、長く人の心に響くものをもっている。(『新共同訳聖書 聖書辞典』「ヨナタン」より)

 

預言者」、「王」、「祭司」というのはキリストの三職と言われているが、祭司の務めは執り成すことであったようだ。

 

さて、ヨナタンダビデをかばって、父サウルにこう言った。「王は僕ダビデのことで罪を犯したりなさいませんように。彼はあなたに対して罪を犯していないばかりか、むしろ大変お役に立っています。彼は自分の命を懸けてあのペリシテ人を討ち、こうして主はイスラエル全体に大きな救いをもたらしたのです。あなたはそれを見て、喜び祝われたではありませんか。それをなぜ、訳もなくダビデを殺し、罪なき者の血を流して、罪を犯そうとするのですか。」サウルはヨナタンの言葉を聞き入れて誓った。「主は生きておられる。ダビデが殺されることはない。」
そこでヨナタンダビデを呼んで、このことをすべて伝えた。ヨナタンダビデをサウルのもとに連れて行き、ダビデはこれまでどおりサウルに仕えた。(サムエル記上19:4~7)

 

ここでヨナタンがなしているのは執り成しの行為である。

 

 

それでもダビデはこう誓った。「お父上は、私があなたの好意を得ていることをよくご存じです。それでヨナタンが悲しむといけないから、知らせないでおこうと考えておられるのです。主は生きておられ、あなたご自身も生きておられます。私と死の間には、ほんの一歩の隔たりしかありません。」(サムエル記上20:3)

 

これに対してヨナタンはこう応えている。

 

ヨナタンダビデに言った。「あなたの望むことは何でもしよう。」(サムエル記上20:4)

 

ダビデイスラエルの名立たる王である」という現代の常識的な感覚からすると、ヨナタンダビデより低い地位にあってダビデに仕えたと思えてしまうのだが、このやり取りから見てもヨナタンの方が上であることが分かると思う。ダビデはサウル王の家臣であり、ヨナタンは王の長子なのだ。

ダビデ「主は生きておられ、あなたご自身も生きておられます」という言葉には、「私はあなた(ヨナタン)に対して嘘偽りは申しません」という意味が込められている。

これに対してヨナタン「あなたの望むことは何でもしよう。」と応えている。

望むことを何でもする力を持っているということである。

 

 

箴言には次のような言葉がある。

世には友らしい見せかけの友がある、しかし兄弟よりもたのもしい友もある。(箴言18:24 口語訳)

そして次のような言葉も・・。

友はいずれの時にも愛する、兄弟はなやみの時のために生れる。(箴言17:17 口語訳)

キリストは私たちの兄弟となってこの世に来てくださった。

 

 

f:id:myrtus77:20200825190312j:plain

米津玄師「迷える羊」より。

 

 

youtu.be

世界は驚くほど速く変わっていく。

しかし人間にとって必要なものはそれほど大きく変わらないだろう。

 

 

 

 

       ダビデの詩
わたしは心を尽くして感謝し
神の御前でほめ歌をうたいます。(詩編138:1)

 

 

〈 簡単な聖書研究 〉

1節「ダビデ

 表題に「ダビデ」とあるのは150ある詩編の半数近く。

 表題に「ダビデ」とあるものはダビデの作と考えられてきたが、聖書学の進歩と共に、ダビデ自身のものというよりも、ダビデの苦難(逃亡生活、家族の問題)にイスラエルの苦難、自分の苦難を重ね合わせながら、またダビデの信仰に倣って神に祈り讃美したと考えられるようになってきた。(https://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entry/2020/08/20/103105

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

米津玄師『迷える羊』と、詩編の詩人

米津玄師の『優しい人』は、言わばドストエフスキーの「日記」のようなものなのだと思う。作者の核がこういったものに表れている。そこから『罪と罰』や『カラマーゾフの兄弟』、あるいは『カムパネルラ』や『感電』のような作品が生み出されるのだ。

 

優しくなりたい 正しくなりたい
綺麗になりたい あなたみたいに (『優しい人』)

 

 

正しくありたい あれない 寂しさが
何を育んだでしょう (『まちがいさがし』)

 

正しさの主張にあふれかえる世界の中で、米津玄師は、正しくあろうとしてそうあることの出来ない自分たちというものを知っているのだと思う。

 

よう相棒 もう一丁 漫画みたいな喧嘩しようよ
洒落になんないくらいのやつを お試しで
正論と 暴論の 分類さえ出来やしない街を
抜け出して互いに笑い合う
目指すのは メロウなエンディング (『感電』)

 

しかし、この若さでそういったことが分かっているというのは凄いことだ!

 

きっと永遠が どっかにあるんだと
明後日を 探し回るのも 悪くはないでしょ (『感電』)

 

「永遠に変わらないものがどこかにないだろうか」と思って、私は教会に行った。中学3年の夏だった。若かった!

 

 

f:id:myrtus77:20200824164337j:plain

誰かが待っている 僕らの物語を

(略)

列なす様に 演劇は続く 今も新たに 羊は迷う
堪うる限りに 歌を歌おう フィルムは回り続けている

(略)

「君の持つ寂しさが 遥かな時を超え
誰かを救うその日を 待っているよ ずっと」 (『迷える羊』)

 

今、祈り会では詩編から聴いている。

何千年も前に生きた詩編の詩人の苦しみや悲しみや怒りの言葉が不思議と私を宥めてくれる。

 

バビロンの流れのほとりに座り
シオンを思って、わたしたちは泣いた。

竪琴は、ほとりの柳の木々に掛けた。

わたしたちを捕囚にした民が
  歌をうたえと言うから
わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして
「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから。

 

どうして歌うことができようか
主のための歌を、異教の地で。(詩編137:1~4)

 

       ダビデの詩

わたしは心を尽くして感謝し
神の御前でほめ歌をうたいます。

 

(略)

 

わたしが苦難の中を歩いているときにも
敵の怒りに遭っているときにも
わたしに命を得させてください。

御手を遣わし、右の御手でお救いください。(詩編138:1、7)

 

 

 

〈 簡単な聖書研究 〉

1節「ダビデ

 表題に「ダビデ」とあるのは150ある詩編の半数近く。

 表題に「ダビデ」とあるものはダビデの作と考えられてきたが、聖書学の進歩と共に、ダビデ自身のものというよりも、ダビデの苦難(逃亡生活、家族の問題)にイスラエルの苦難、自分の苦難を重ね合わせながら、またダビデの信仰に倣って神に祈り讃美したと考えられるようになってきた。(https://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entry/2020/08/20/103105

 

 

  

youtu.be

 

そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。(マタイによる福音書25:1)

 

 

 

 

 

 

 

 

米津玄師アルバム『STRAY SHEEP』

この春頃までは、「米津玄師」という名前を知らなかった。

昨年の夏、娘がよく『海の幽霊』を歌っていて、今年梅雨前に夏のように暑い日が続いた時、思わずその歌が口をついて出た。「開け放たれたこの部屋には誰もいない 潮風の匂い滲みついた椅子がひとつ」。

その前だったか後だったかは忘れたのだが、うちで米津玄師の名前が出たことがあった。ある教会の奏楽者が礼拝の始まりで米津の「Lemon」を弾いたというのだ。牧師が何も言わないでいると、その人は礼拝の前奏にポピュラーソングを色々入れ始めたということだった。それで、「Lemon」ってどういう曲?ということで聞かせてもらったのだった。

最後の歌詞がまるで聖書みたいだと思った。「今でもあなたはわたしの光」。

 

主はとこしえにあなたの光(イザヤ書60:19)

 

この御言葉は、かつての教会の今は亡き長老に送った言葉だった。「一筆箋を開いた瞬間、光が射し込んできた気がした」と返信を頂いた。だから鮮明に記憶していたのだ。

 

アルバムの歌詞に注目して見ていると、こんな言葉も目に留まった。

「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよ きっと」(『迷える羊』)

 

友はどのような時でも愛してくれる。兄弟は苦難の時のために生まれる。(箴言17:17 聖書協会共同訳)

 

 

f:id:myrtus77:20200821092355j:plain

これは私の机の上で、娘がいつの間にか撮っていたアルバムの写真。


アルバムの中から『優しい人』の最後の一節を以下に抜粋引用する。

強く叩いて「悪い子だ」って叱って
あの子と違う私を治して

 

あなたみたいに優しく
生きられたならよかったな

 

優しくなりたい 正しくなりたい
綺麗になりたい あなたみたいに

 

「キリストの教えどおり、人間を自分自身のように愛することは不可能である。地上の人性の掟がこれをしばり、自我が邪魔をする・・・人間はこの地上で、自身の本性に反した理想(自他への愛を融合させたキリスト)を追求している。そして、この理想追求の掟を守れないとき、つまり、愛によって自身の自我を人々のために、他者(私とマーシャ)のために犠牲に供しえないとき、人間は苦悩を感じ、この状態を罪と名づける。そこで人間はたえず苦悩を感じていなければならず、その苦悩が、掟の守られた天上のよろこび、すなわち犠牲と釣合うのである。ここにこそ地上的な均衡がある。でなければ、この地上は無意味になるだろう」(ドストエフスキー地下室の手記』(新潮文庫)訳者、江川卓「あとがき」より)

 

愛せないというのはどんなに苦しいことかと思う。

それゆえ憧れて止まないのだ。

 

この歌は米津玄師の歌であるとともに私の歌でもある。

 

 

 

 

 

 

 

 

「バビロンの流れのほとりに座り シオンを思って、わたしたちは泣いた」(詩編 137:1~9から説教全文)

聖書:詩編 137:1〜9(新共同訳)

 詩人はバビロンの流れのほとりに座り、涙を流します。

 彼は、バビロン捕囚によりエルサレムからバビロンに連れてこられました。

 彼の故国 南ユダは、新バビロニアによって滅ぼされました。その際、バビロニアの王ネブカドネツァルは、多くの者を捕虜としてバビロニアの首都バビロンに連れて行きました。第1回が紀元前 597年、列王記下 24:14にはこう記されています。「彼(ネブカドネツァル)はエルサレムのすべての人々、すなわちすべての高官とすべての勇士一万人、それにすべての職人と鍛冶を捕囚として連れ去り、残されたのはただ国の民の中の貧しい者だけであった。」

 そして第2回は10年後、紀元前 587年です。列王記下 25:11「民のうち都に残っていたほかの者、バビロンの王に投降した者、その他の民衆は、親衛隊の長ネブザルアダンによって捕囚とされ、連れ去られた。」ここから50年バビロン捕囚は続きます。

 

 詩人はおそらく神殿で讃美の奉仕をする詠唱者だったのだろうと思います。列王記や歴代誌には、神殿に関する記述の中に詠唱者という言葉が出てきます。

 彼にとっては、讃美の奉仕こそ神から与えられた務めでした。彼は捕虜として連れて行かれるのに、竪琴を手放さずに持っていきました。エルサレムからバビロンまでの約2,000kmの旅路において、大切に抱えて自分にとってなくてならぬものとして持っていきました。

 

 バビロンにはユーフラテス川から水を引くための運河が張り巡らされています。1節の「流れ」は複数形なので、この運河を指しているのでしょう。

 運河の川底には時間とともに土砂が溜まっていきます。洪水の危険を避けるためには、底をさらうことが必要です。捕囚の民はその労働者にあてがわれたと思われます。そしてその労働の監督をバビロニア人がします。そして休憩時間に命じるのです。3節「わたしたちを捕囚にした民が歌をうたえと言うから わたしたちを嘲る民が、楽しもうとして「歌って聞かせよ、シオンの歌を」と言うから」。

 

 詩人は神殿の讃美奉仕者、詠唱者です。彼が歌うのは讃美の歌、詩編です。彼は聴いている同胞イスラエルのために神を讃美します。

 バビロニア人にはヘブライ語は分かりません。彼は詩人に歌詞を説明させます。ある旧約学者は、3節の「歌」の原文は「歌の言葉」を表しており、「歌をうたえ」を「歌詞を求めた」と訳しています(月本昭男『詩篇の思想と信仰 VI』)。そして歌詞の説明を聞いたバビロニア人は言ったのでしょう。「己が民を救うこともできない神、その神を信じているお前たちは、何と哀れなことであろうか。」

 詩人は思います。4節「どうして歌うことができようか 主のための歌を、異教の地で。」

 そして彼は2節 竪琴を運河のほとりの柳の木々に掛けたのです。彼は、エルサレムから大切に持ち続けてきた竪琴を手放したのです。主への讃美を主のあざけりに使われるなど彼には耐えられませんでした。

 

 そして彼は涙しながら祈りつぶやきます。

 5~6節エルサレムよ もしも、わたしがあなたを忘れるならわたしの右手はなえるがよい。わたしの舌は上顎にはり付くがよい

 もしも、あなたを思わぬときがあるなら もしも、エルサレムをわたしの最大の喜びとしないなら。」

 エルサレムという単語は女性名詞です。ヘブライ語の名詞は男性名詞と女性名詞があります。詩人は、恋人に向かって訴えるように語ります。「わたしがあなたを忘れてしまうようなことがあるなら、竪琴をつま弾くこの右手は動かなくなってもいい。もしも、あなたを思わぬ時、あなたを最大の喜びとしないような時が来るなら、わたしの舌が上顎に張り付いて、讃美できなくなってしまえ。」

 

 彼は悔しさ・悲しさで自分が埋め尽くされてしまう中で、神に向かって訴えます。

 7節「主よ、覚えていてください エドムの子らを エルサレムのあの日を 彼らがこう言ったのを 『裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで。』」

 エドムは、ヤコブの兄 エサウの子孫です。イスラエルと近しい民です。けれど、隣接する国ですから、領土を巡って絶えず争いがあり、良い関係ではありませんでした。

 「エルサレムのあの日」というのは、新バビロニアによってエルサレムが陥落した日のことです。エドムはその時、バビロニア軍の攻撃に加担し、ユダの領地を侵略しました。

 それについてオバデヤ書が記しています。オバデヤ 10~11「兄弟ヤコブに不法を行ったのでお前は恥に覆われ、とこしえに滅ぼされる。お前が離れて立っていたあの日 異国の者がエルサレムの財宝を奪い 他国の者がその門に入り エルサレムをくじ引きにして取ったあの日に お前も彼らの一人のようであった。」

 そしてエドムは積年の思いを吐き出すように叫びます。「裸にせよ、裸にせよ、この都の基まで。」何一つ残すことなくすべてを奪い尽くそうというのです。

 詩人はこの場面を目撃し、その声を聞いたのでしょう。バビロニア人のあざけりを受けて、詩人は記憶が甦り、それが自分の中を嵐のように駆け巡ります。

 詩人は、主がエドムのしたことを忘れず、報いてくださることを願います。

 8~9節
娘バビロンよ、破壊者よ
いかに幸いなことか
お前がわたしたちにした仕打ちを
お前に仕返す者
お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は。

 娘バビロン、エルサレムを恋人のように擬人化し語りかけたように、バビロンをも擬人化して語りかけます。

 詩人は、バビロニアエルサレムにしたのと同じことをバビロンに仕返しする者を幸いだと讃えます。これは詩人がバビロニアに伝わる「目には目を、歯には歯を」で有名なハンムラピ法典を知ったのでしょう。ハンムラピは新バビロニアではなく、その前に存在したバビロニアの初代の王です。詩人は、バビロニアの有名な法典のように、バビロンもエルサレムと同じようにされればいい、と願っています。なぜ願うのか。それは自分たちには報復する力などなく、辱めに耐えるしかなかったからです。

 

 8節の「いかに幸いなことか」は、9節の「お前の幼子を捕えて岩にたたきつける者は」にも掛かっていきます。あまりにも強烈な言葉で、詩篇がこんな言葉で終わっていいのかとすら思います。

 幼子をたたきつけるのは、当時の戦争において普通に行われていました。自分たちに刃向かう後の世代をなくしてしまうためです。これは聖書の他の箇所にも出てきます。預言者エリシャは後にアラムの王になるハザエルに向かってこう語ります。列王記下 8:12「あなたはその砦に火を放ち、若者を剣にかけて殺し、幼子を打ちつけ、妊婦を切り裂きます。」

 

 罪の世では、余りに理不尽な状況、自分ではどうすることもできない状況、とても受けとめることのできない事柄というものがあります。そんなとき、神の民は、神が裁きを成してくださることを祈り願いました。

 預言者エレミヤも祈ります。エレミヤ 15:15「主よ、わたしを思い起こし、わたしを顧み わたしを迫害する者に復讐してください。いつまでも怒りを抑えてわたしが取り去られるようなことがないようにしてください。」20:12「万軍の主よ・・わたしに見させてください あなたが彼らに復讐されるのを。わたしの訴えをあなたに打ち明けお任せします。」

 自分の手に余ることは神に委ねるのです。神は言われます。申命記 32:35「わたしが報復し、報いをする」。

 詩編には、神が「報復の神」であることを期待するものもあります。詩編 94:1~2「主よ、報復の神として 報復の神として顕現し 全地の裁き手として立ち上がり 誇る者を罰してください。」

 

 詩編を読み始めるときに申し上げましたが、詩編は神が語りかけられた言葉ではなく、民の祈りの言葉です。神がその祈りを受け入れ、ご自身の言葉、神の言葉としてくださいました。それはこの137篇も含めて神が「こう祈りなさい。こう祈っていい。わたしが聞く」と言ってくださっているのだと思います。

 

 9節の言葉を聞いて、皆さんが思い浮かべるのは、新約の愛と赦しの言葉かもしれません。マタイ 5:43, 44「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」ローマ 12:14「あなたがたを迫害する者のために祝福を祈りなさい。祝福を祈るのであって、呪ってはなりません。」12:19「愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。」

 主が求めておられるのは、愛と赦しです。

 しかし、わたしたちは罪を抱えており、愛せないのです、赦せないのです。罪の世にあって、罪を抱えて、怒りや悲しみに苦しむのです。わたしたちには、神の裁きが必要です。その時神は、詩編を通して語りかけられます。「信仰深く装わなくていい。あなたをわたしに委ねなさい。怒りも悲しみもわたしに委ねなさい」と語りかけてくださいます。わたしたちは信仰を演じる必要はないのです。神はわたしたちを知っておられます。わたしたちの欠けも弱さも知っておられます。そしてわたしたちを受けとめてくださいます。だから神は、独り子イエス キリストをお遣わしくださったのです。そして神の国に入るその日まで、わたしたちを整え導いてくださいます。

 

 現代でも、戦争などにおいて、子どもたちの命が奪われ、弱い者が辱められる状況はなくなっていません。新しい武器・爆弾が開発され、古よりもはるかに悲惨な状況を生み出しています。

 わたしたちは、神の国が到来するその日まで、この137篇も神が与えてくださった神の言葉として祈ります。今もなお怒り・悲しみに苦しむ人々、涙せずにはいられない人々と共に、神に祈っていくのです。


父なる神さま
 この世では、罪が猛威を振るい、涙せずにはいられない苦しみや悲しみ、理不尽を押しつけてきます。この世にあってわたしたちは無力に立ちつくします。わたしたちはあなたが裁かれるのを待ち望みます。どうか罪を裁き、あなたの義を立て、御国を来たらせてください。わたしたちの怒りや悲しみ、そして絶望を拭い去ってください。
エス キリストの御名によって祈ります。 アーメン

 

https://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entry/2020/08/12/142403