風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

梟の

ふくろうの声が聞こえるこんな夜は

木菟や闇に向かひて吾ひとり
木菟の声止みてなほ闇深し

この家の後ろには山があるので稀に梟の声を聞くこともある。
同じ町に住んでいても、私の育った家では聞いたことがなかった。

わたしは、荒れ野のみみずく、廃墟のふくろうのようになった。
屋根の上にひとりいる鳥のように わたしは目覚めている。(詩編102:7~8)



孤独に耐えうる者でなければ連帯することはできない。
しかし、「孤独に耐えうる者」とはどのような者であろう。
孤独に耐えうる者とは、「自分の中に他者を持っている者」ではないだろうか。

たとえば、

つきとばされて宙にぶら下がり
キリストと二人ぎりになったと思ったことは無いか   八木重吉

こんな風に・・。

あるいは、思考によって全く未知の新しい地平へと連れていってくれるもう一人の自分を自分の中に持っている者、か。


● 保険証もお金もなく、病気になっても病院に行けない人のための社会福祉法で定められた「無料低額診療施設」

● 第912回 何もできていない新国立競技場で、60億円が消える?
 いずれにしろ、税金をつぎこんで設計費36億円とかを支払うのであれば、それを受け取る会社がどの会社か公表し、公の場で、それがいったいなぜ36億円もかかるのか説明させなければならない。
 そして、公の場で、専門家を巻き込んで、その金額の妥当性を議論しなければならない。
 「費用のことはまったくわかりませんよ」と、恥知らずに言う責任者たちを相手に、こんな金儲けが成り立ってしまう状況を放置していいのだろうか。
 こういう商売が成り立ってしまうのであれば、実現不可能なほどの金額をふっかけて、白紙撤回にさせると、実際に物を作るという責任もリスクもある仕事をせずに、企画とか計画とか設計という名目で、お金儲けができる。
(中略)
 というのは、日本という国は、…、いったん政府機関にお金を集めて、それを分配するという構造を維持しようとしている。お金を持っていることで、役人は権限を誇示できるからだ。お金を牛耳って分配する権利をもって、その為に、人がへりくだってすり寄ってきて大きな顔をしている連中が、そのお金の使い道に対して、「自分はよく知らない、だから責任はない」と言い張っている。こういう茶番を繰り返しているのだから、…。

 いずれにしろ、新国立競技場で、何もできていないのに莫大なお金が発生するのであれば、誰が誰に対して発注して、誰がそのお金を得ているのか、明らかにすべきだと思う。(抜粋引用) 


 核戦争が起れば、人類は破滅の憂目にあうだろう。だが、いますでに私たちのまわりは、信じられないくらいおそろしい物質で汚染している。…。
 …。放射線と同じように、化学薬品もまた突然変異をひき起こすことが多い。
(中略)
 どんなおそろしいことになるのか、危険に目覚めている人の数は本当に少ない。そしていまは専門分化の時代だ。みんな自分の狭い専門の枠ばかりに首をつっこんで、全体がどうなるのか気がつかない。いやわざと考えようとしない人もいる。またいまは産業の時代だ。とにかく金をもうけることが、神聖な不文律になっている。(レイチェル・カーソン=著『沈黙の春』より抜粋)