風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『おいしいごはんが食べられますように』と「主の祈り」

慌てて食べてくある日の朝食。

 

山崎行太郎氏のYouTube動画で、芥川賞選考委員の記者会見にまつわる話が語られていて、高瀬隼子氏の『おいしいごはんが食べられますように』に興味を感じ、図書館で予約してきた。

予約だけなので、まだ中身は読んでいないのだが、このタイトルを聞いただけで感じたことを書いてみようと思った。

 

このタイトルを聞いて、「主の祈り」を思い浮かべたのだった。作者が「主の祈り」を念頭に置いてこの作品を書いたかどうかは全く分からないが・・。

 

わたしたちの日ごとの食物を、きょうもお与えください。(マタイによる福音書6:11)

これはイエスが教えた祈りだから、随分昔のものだ(笑)。

 

何を言いたいかというと、「食べられますように」というのは、今日的なことではなく、普遍的な願いだということだ。

 

食と住というのは、生存のための最も基本的な必要事項である。

 

 

しかし、このタイトルには「おいしい」という形容詞がついている。

ここに今日的な意味合いが込められているようにも思える。

 

今の時代は非正規雇用などで働き口もままならず、職に就けたと思えば忙しくて、昼食などもカロリーメイトウイダー、果てはサプリで済ますという若者も増えているのではないかと思う。

「おいしいごはんを食べる」あるいは「おいしくごはんを食べる」などというのは、願ってもなかなか適わないことなのではないか、と思えるのである。

 

これはしかし贅沢な願いなのではない。全く基本的な最低限の生存権なのだと思うのだ。

エスから祈りに覚えなさいと教えられた事柄が、〈贅沢な願い〉ではないかという姿を纏わされて現代に至るまで続いているのである。

 

日本国憲法第25条:すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。

これに相当する。

 

教員試験で暗記させられたなぁ〜。忘れちまってたから調べなくてはいけなかったけど。