風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「神様によって召し出されて、聖書の御言葉を共に聴く」(他教会の長老さんのお説教から)

 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」同行していた人たちは、声は聞こえても、だれの姿も見えないので、ものも言えず立っていた。サウロは地面から起き上がって、目を開けたが、何も見えなかった。人々は彼の手を引いてダマスコに連れて行った。  
 ところで、ダマスコにアナニアという弟子がいた。幻の中で主が、「アナニア」と呼びかけると、アナニアは、「主よ、ここにおります」と言った。すると、主は言われた。「立って、『直線通り』と呼ばれる通りへ行き、ユダの家にいるサウロという名の、タルソス出身の者を訪ねよ。今、彼は祈っている。アナニアという人が入って来て自分の上に手を置き、元どおり目が見えるようにしてくれるのを、幻で見たのだ。」しかし、アナニアは答えた。「主よ、わたしは、その人がエルサレムで、あなたの聖なる者たちに対してどんな悪事を働いたか、大勢の人から聞きました。ここでも、御名を呼び求める人をすべて捕らえるため、祭司長たちから権限を受けています。」すると、主は言われた。「行け。あの者は、異邦人や王たち、またイスラエルの子らにわたしの名を伝えるために、わたしが選んだ器である。わたしの名のためにどんなに苦しまなくてはならないかを、わたしは彼に示そう。」 そこで、アナニアは出かけて行ってユダの家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウル、あなたがここへ来る途中に現れてくださった主イエスは、あなたが元どおり目が見えるようになり、また、聖霊で満たされるようにと、わたしをお遣わしになったのです。」すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。そこで、身を起こして洗礼を受け、食事をして元気を取り戻した。(使徒言行録9:1~19 新共同訳)

 

パウロの回心」(使徒言行録9章1~19節)

https://drive.google.com/file/d/1VKo8U5zFS5-5ciUZUUNP4FeI56gJerXL/view

ほぼ50年、子どもへの説教をして来られた長老さんの味わい深いお説教。

 

色々なことを考えさせられたが、

「説教というのは、宗教上の教理、そして教義を人に分かりやすく解き明かす、その事で人を導くと辞書に書かれてあるんですけれども」(4:00〜)

 

「だから私は、説教というものじゃなくて、御言葉を共に聴くと、そういうことなんですね」(10:24〜)

 

「その小見出しに、逆に、惑わされるな、と」(11:56〜)

 

「ずっと、いつも子どもの説教の時にもお話ししますけれども、神さまの救いのご計画というのはいったいどういうことなんだ、こういう聖句を与えて。

だけど神さまの救いというのは、神さまの愛、憐れみ、慈しみ、恵み、このことはですね、神さまは主イエスキリストをこの世に送って十字架につけられて復活されたこのイエス・キリストを通してのみ私たちに、その聖書の、今書かれている聖書をその意味において読んでいくと〜」(15:03〜)

 

「ここは『パウロの回心』と言っていますけれども、ある聖書においては『パウロの召し出し』すなわち『パウロの召命』。私たちもこういう言葉を繋ぐときは、神さまの召し出しがあって、今、私ここに立たされているのも、その思いで立って、聖書の御言葉を共に聴くという〜」(16:15〜)

 

「若い時に、こういう説教をする時に困ったら、聖書が聖書をちゃんと証ししてくれるから安心して私に話しなさいと、未だにその思いの中で読んでいきますと、確かにそういうことなんだな、と」(20:37〜)

 

「実際に、パウロが完全に変えられた者と変わるのは、アナニアを通してなんですね。神さまはパウロだけをいきなり捕まえてするんじゃなくて…アナニアが按手するんですね。〜パウロはアナニアによって洗礼された」(22:15〜)

 

「説教の極みは…「イエスはそしてこのことを語り終えられた」と、これ小見出しは『山上の説教』という形で、説教はすべからくここから発出している、と思います」(30:55〜)

 

お祈りも、

「あなたのご計画はまことに不思議なものです。あなたの救いの物語はあまりにもスケールが大きく、私たちがどれほど想像力をたくましくしても全てを知ることはできません。サウロは、あなたによって、迫害する者から福音を宣教する者に変えられました。こうした出来事は、私たち人間の思いを遥かに超えております。あなたは今日もご自分の救いの物語の中に生きるようにと私たちを招いてくださっております。サウロのように自分勝手な私たちが、彼のように愛され、罪を赦され、憐れみを受けて、福音の宣教のために用いてくださることを聴き、驚くべき恵みを覚えます。あなたが一人一人、そして教会全体を聖霊で満たしてくださっているからこそ、私たちは福音を宣べ伝えることができます。どうか私たちを聖霊の導きに従い喜びをもって福音を伝える僕としてくださいますよう〜」(32:45〜)