風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

2021年1月号の『聴く』と米津玄師『迷える羊』

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サウル王の長子ヨナタンとキリストの予型             

旧約聖書の人物の中でもサウルの息子ヨナタンほど魅力的な人物はいないと思う。「ヨナタン」とは「ヤーウェ与えたもう」という意味であるようだ。

予型(よけい) 旧約の出来事の中にイエスの出来事を予め示す型のことを言う。たとえば「アダムは来たるべき方(キリスト)を前もって表す者」と言われる。(『新共同訳聖書 聖書辞典』)

『岩波キリスト教辞典』でも、キリストの予型としてあげられているのは、アダム、モーセダビデ、そして3日3晩大魚の腹の中にいて甦った預言者ヨナ等で、ヨナタンの名は記されていない。

それでもダビデは誓って言った。「わたしがあなたの厚意を得ていることをよくご存じのお父上は、『ヨナタンに気づかれてはいけない。苦しませたくない』と考えておられるのです。主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます。死とわたしとの間はただの一歩です。」ヨナタンダビデに言った。「あなたの望むことは何でもしよう。」(サムエル記上20:3~4)

ダビデがあまりにも有名な王なのでヨナタンの地位はダビデの下であるように思ってしまうのだが、ここでのダビデの「主は生きておられ、あなた御自身も生きておられます」という言葉には、「私はあなた(ヨナタン)に対して嘘偽りは申しません」という意味が込められている。

このダビデに対してヨナタンは「あなたの望むことは何でもしよう。」と応えている。望むことを何でもする力をヨナタンは持っているということである。

 

ヨナタンは、父サウル王にダビデを執り成し、美しい友情でダビデを支えた。

 

ダビデがサウルと話し終えたとき、ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した。サウルはその日、ダビデを召し抱え、父の家に帰ることを許さなかった。ヨナタンダビデを自分自身のように愛し、彼と契約を結び、着ていた上着を脱いで与え、また自分の装束を剣、弓、帯に至るまで与えた。(サムエル記上18:1~4)

 

「自分自身のように愛する」というのは、本来キリスト以外の人間には出来ない行為なのだと思う。このことから、私には、ヨナタンこそキリストの予型だろうと思えるのである。

 

 

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