風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子63

 

水中より一尾の魚跳ねいでてたちまち水のおもて合わさりき  『葡萄木立』

池の辺(へ)にコンクリートの濡れをりき黒き魚跳ねいで黒き魚死にける

 

をさなごが魚呼ぶこゑす、キリストが魚よ、と呼びし哀泣のこゑ 『朱霊』

 

 

 1:1には「神の子」という言葉が最初にあります。注の付いている聖書や、注解書を見ると、「神の子」という言葉は「最古の有力な写本の一つには欠けており・・後代に付加された可能性がある」といったことが記されています。これは、マルコが書き上げたマルコによる福音書の原本こそ本物のマルコによる福音書という錯覚があるのではないかと思います。

 

(略)

 

 聖書学の学問的研究は、大切なものだと思います。多くの益をもたらし、説教に影響を与えてきました。しかし、時を超えてイエス キリストを伝えてくださる神の御業の前に身を低くする謙遜さは必要です。

 「神の子」という表現は、後代の付加かもしれません。それも含めて神の導きであるとわたしは考えています。

 わたしは、古代のキリスト者たちが自分たちのシンボルとして魚のマークを秘かに用いていたその影響があるかもしれないと考えます。公にキリスト者であることを言えない迫害の時代に、地面に魚のマークを書いて自分がキリスト者であることを伝えていたと言われています。ギリシャ語で「イエス キリスト 神の 子 救い主」の頭文字をつなげると、イクテュス(ギリシャ語で魚)という単語になります。そこから魚のマークが使われたのですが、そこにある「イエス キリストは神の子」という信仰が影響を与えたのかもしれません。

 わたしは、この「神の子」という表現には、迫害という悪い状況の中でも信仰を持ち続けたキリスト者たちに対する、神の祝福が込められているのかもしれないと思うのです。(https://fruktoj-jahurto.hatenablog.com/entry/2020/12/27/164044より抜粋)