天の川に列車走らせどこまでも君を乗せゆく青き天鵞絨
ふり向かば黒くびろうど広ごるを恐れゐて我、列車走らす
「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねぇ」ジョバンニが斯う云いながらふりかえって見ましたらそのいままでカムパネルラの座っていた席にもうカムパネルラの形は見えずただ黒いびろうどばかりひかっていました。(宮沢賢治=作『新編銀河鉄道の夜』(新潮文庫)より引用)
上は私の短歌擬きだが、米津玄師の『カムパネルラ』はザネリの視点で歌われたものだと言う。そう分かって歌詞を読むと、過酷な内容だと思える。
ユダは死んだ。
「ドストエフスキー『罪と罰』22」で私は、「キリストはユダが…。というより、イエスを裏切って生き続けていくことは困難だということを分かっておられたのだと思う」と書いた。
そう考えるなら、なお生きてゆくということがどれほど過酷なことであるかが分かるように思う。
あの人の言う通り 私の手は汚れてゆくのでしょう
追い風に翻り わたしはまだ生きてゆくでしょう 『カムパネルラ』
『沈黙』のキチジローを思い浮かべた。
黄昏を振り返り その度 過ちを知るでしょう 『カムパネルラ』
ペテロを思い浮かべる。
だが、ペトロは、「あなたの言うことは分からない」と言った。まだ言い終えないうちに、たちまち鶏が鳴いた。主は振り向いてペトロを見つめられた。ペトロは、「今日、鶏が鳴く前に、あなたは三度、私を知らないと言うだろう」と言われた主の言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。(ルカによる福音書22:60~62)
かたはらにかたはらにゐるそれだけの君を捨て去る 春の鶏(とり)啼く
「どこにでもあなたについてまいります」ついてはゆけぬと春の鶏啼く
「ペテロよ、ペテロ」 わが罪のため十字架につき賜ふ主の声に鶏哭く
するとシモンは、「主よ、御一緒になら、牢に入っても死んでもよいと覚悟しております」と言った。イエスは言われた。「ペトロ、言っておくが、あなたは今日、鶏が鳴くまでに、三度わたしを知らないと言うだろう。」(ルカによる福音書22:33,34)
しかし米津の歌は、「それでも、生きて物語を紡ごう」と語りかけているように思う。
「シモン、シモン、サタンはあなたがたを、小麦のようにふるいにかけることを神に願って聞き入れられた。しかし、わたしはあなたのために、信仰が無くならないように祈った。だから、あなたは立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカによる福音書22:31,32)
追い風に翻り わたしはまだ生きてゆける 米津玄師『カムパネルラ』
「千年後の未来には 僕らは生きていない
友達よいつの日も 愛してるよ きっと」
「君の持つ寂しさが 遥かな時を超え
誰かを救うその日を 待っているよ ずっと」 米津玄師『迷える羊』