風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

神さまは、祈ることを、美しいことと見ていてくださる

「地の塩、世の光とされて」マタイによる福音書5:13-20 堤隆牧師説教

 

この立派な行いというのは、元の言葉は良いとか美しいという言葉が当てられています。「良い行い」、「美しい行い」、人が見て心惹かれる業、自分もああなりたい、自分も行ってみたい、そう思われる在り方です。

理不尽な力に翻弄されている人が、「私もやってみよう」と、そういう業です。

(略)

天の父なる神さまの栄光、光、主イエスそのものです。主イエスが天と地をつないでくださる。どんなに困難があり理不尽があり人が翻弄されようともその地上と神さまとがつながれる。

これはもっと具体的に「祈り」のことです。

神さまは「祈ること」を、良い、美しいことと見ていてくださる、そう主は教えてくださいました。

(略)

すべてのことが実現するために私は来たんだ、と、そう強調しておられます。

(略)

主は、この私にとって、「良いもの、美しいものにしてあげよう」と約束してくださいました。主はそのために十字架にかかって私たちを贖い、良い、美しいものとしてくださいました。これを頂いて、地の塩、世の光としてこの所を出でゆきたいと思います。(抜粋)

 

https://www.youtube.com/watch?v=3NoBzh6gytM&list=PLqBgl-kXQKiMkFZf94y5i-zO8nRoPRC5W&index=2&t=0s

 

 

このところ、「祈り」について少し考えていた。

 

リンクさせて頂いた札幌北一条教会の、上に引用させて頂いたところをお聴きしていて、いつも私たちは、キリストの御名によって祈っている、と思った。

 

エス・キリストが今も天と地をつないでいてくださる。私たちはそのことを「祈ること」によって味わい知ることができるのだ、と。