風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

ヨハネによる福音書3章1~15節の日曜学校でのお話(追記あり)

今日は、ファリサイ派に属するニコデモという名前のイスラエルの指導者のお話です。

ファリサイ派というのは、律法を一所懸命に守ることで救われようとしている人達のことです。その中でもニコデモさんはイスラエルの人々を教える教師でした。皆から「先生」と呼ばれているような人だったんですね。ニコデモさんは地位もお金も持っていて、世の中でも立派な人だと思われていました。

 

そんなニコデモさんがある夜、イエス様にこっそり会いに来ました。昼間はイエス様の周りには大勢の人が取り巻いていましたから、ゆっくり話すには夜の方が良いと思ったのかもしれません。

ニコデモさんはお金も地位も何でも持っていましたが、自分には何かが足りないと思っていたようです。それで、自分に足りない物が何なのかイエス様に尋ねてみたかったのだと思います

 

ニコデモさんはイエス様の所に来て「先生、私はあなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるような印を誰も行うことは出来ないからです」と言いました。これは挨拶なんですね。

“先生”と呼ばれているニコデモさんがイエス様に「先生」と呼びかけて、「こんばんわ」と言う代わりに、こんな風に挨拶したのです。

 

するとイエス様は「私はあなたに真実を告げよう」と言って「人は新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」とおっしゃいました。

ニコデモさんが何を聞きたくてやって来たのか、イエス様には良く分かっていたので、挨拶もしないで、すぐに話して下さったのです。

それに対してニコデモさんは「年を取った者がどうして生まれることができるでしょう。もう一度母親のお腹の中に入って生まれることが出来るでしょうか」と言いました。

するとイエス様は又「私はあなたに真実を告げよう」とおっしゃいました。

この言葉はイエス様が大事なことを私達に話して聞かせようとする時に言われる言葉なんですね。「アーメン、アーメン。私はあなたに本当のことを教えよう」そう言って、イエス様はニコデモさんが理解できるように語り始めました。

「誰でも水と霊から生まれなければ、神の国に入ることは出来ない。肉から生まれた者は肉である。霊から生まれた者は霊である。『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに驚いてはならない」

 

ニコデモさんは神様がなさるのであればどんなことでも出来るということは分かっていました。でも、ニコデモさんは長い間ずっと自分の力で救われるためにがんばってきた人だったんですねぇ。神様の力ではなくて、人間の力でやろうとすることばかり考えていました。ですから、イエス様に向かって「どうしてそんなことがあり得ましょうか」と言ってしまいました。

するとイエス様は「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことも分からないのか」とニコデモさんを叱りました。

でも、それでも又「私はあなたに真実を告げよう」と言って「天から降って来た者、すなわち私の他には天に昇った者は誰もいない。そしてモーセが荒野で蛇を上げたように、私も上げられねばならない。それは、信じる者が皆、私によって永遠の命を得るためである」と語って下さいました。

 

ニコデモさんは、この時はまだ色々なことが分かりませんでしたし、イエス様が神の子であるということも信じることが出来ませんでした。

でも、この後イエス様が十字架で死んで、お弟子達も逃げてしまった時、ニコデモさんは埋葬のための高価な香油を持ってイエス様の遺体を引き取りに来たんですね。

ニコデモさんはその時イエス様によって新しく生まれることが出来たのです。

 

私達はニコデモさんのように直接イエス様にお会いして、知りたいことをお尋ねすることは出来ませんね。

でも、私達が神様のお話を聞いて祈る時、神様は「私はあなたに本当のことを教えよう」と言って語り聞かせて下さいます。

時にはニコデモさんのように叱られることもあるかもしれません。

けれども神様は日曜ごとに又祈り会の度に私達に真実を告げるために語り聞かせて下さるのです。

 

これは小学生中学年を設定してまとめたものだが、この時、実際に話したのは、3歳の女の子一人に向けてだった。子どもと大人の合同礼拝の中での子どもへのお話なので、周りに大人は大勢いたのだが・・。

いつもの子どもがお休みで、予定していたより低年齢になったので、内心ちょっとパニクりながら話したのだった。「イエス様は、『こんにちわ』とも言わないで・・」と話したことばかりが記憶に残っている。

 

 

以下は、日本キリスト教会栃木教会の5月10日のweb礼拝から、

「新しく生まれる」(ヨハネによる福音書3章1~16節)渡邉祐牧師

https://www.youtube.com/watch?v=JGTQhrpQfp0&feature=youtu.be

このことに続いて、こう答えられています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」これは、ただ神によって決意され、成し遂げられた上からの出来事でした。人が全く予想もしなかった、神の為さりようでした。新たに生まれるとは、この神の語りかけに心を開くことです。(抜粋)

 

簡潔でありながら、真っ直ぐにキリストだけを指し示している、とても良い説教だと思った。

言葉にならない事柄を言葉にして伝えようとする、説教とは本来そういうものではないだろうか。