風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

八木誠一『キリストとイエス』と − ドストエフスキー『罪と罰』

ああ、もしおれがひとりぼっちで、だれからも愛されることがなかったら、おれだってけっしてだれも愛しはしなかったろうに! こんなことは何もなかったろうに!(岩波文庫罪と罰 下』p348)

 

前の記事で小林秀雄の言葉と共にこの言葉を取りあげたが、この言葉は、「切ない」と言えばあまりに「切ない言葉」である。

しかしこの言葉から私は、『キリストとイエス』の中の八木誠一のこんな言葉を思い浮かべる。

 

私が私であるのは、私によるのではなく、また私を他者とのかかわりの中においたのも私ではない。私は他者とのかかわりの中で自己自身であるべく、置かれた存在なのである。(八木誠一=著『キリストとイエス』(講談社現代新書)p51)

 

ここに表されているのは、愛である神に似せて造られた人間のありようである。

人は、愛する者、愛を求める者として造られ、「他者とのかかわりの中に置かれた」のだ。

しかし、人が罪に堕ちたために、この愛に苦悩が伴うようになった。

 

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