ああ、もしおれがひとりぼっちで、だれからも愛されることがなかったら、おれだってけっしてだれも愛しはしなかったろうに! こんなことは何もなかったろうに!(岩波文庫『罪と罰 下』p348)
前の記事で小林秀雄の言葉と共にこの言葉を取りあげたが、この言葉は、「切ない」と言えばあまりに「切ない言葉」である。
しかしこの言葉から私は、『キリストとイエス』の中の八木誠一のこんな言葉を思い浮かべる。
私が私であるのは、私によるのではなく、また私を他者とのかかわりの中においたのも私ではない。私は他者とのかかわりの中で自己自身であるべく、置かれた存在なのである。(八木誠一=著『キリストとイエス』(講談社現代新書)p51)
ここに表されているのは、愛である神に似せて造られた人間のありようである。
人は、愛する者、愛を求める者として造られ、「他者とのかかわりの中に置かれた」のだ。
しかし、人が罪に堕ちたために、この愛に苦悩が伴うようになった。