風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

キリスト教書店で興味深い本を見つけた ー『西郷隆盛とキリスト教信仰』

転居先の下見で出かけて、キリスト教書店で興味深い本を見つけた。

舘 正彦著『西郷隆盛キリスト教信仰』。今年1月に出版されたもののようだ。

読んでみたいとは思ったが、引っ越し前なので買わなかった。

www.gospel-light.info

 

以下は、上の書籍とは関係ない2017年12月の「いのちのことば社」のサイトの記事。

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ミニ特集 西郷さんは聖書を教えていた | 月刊いのちのことば

西郷隆盛と川邉家との関係は、十八歳の西郷さんが、当時、川邉家が民主的な統治をしていた鹿追原地区の視察に訪れたときに遡る。以後、両者の間には、親しい関係が生まれ、明治になって、川邉氏のひいおじいちゃんの代に、西郷さん自らが読んでいた漢訳の新約聖書の内容を教えていたのだという。(略)

西郷さんが川邉家を訪れ、聖書を教えていたのは、おそらく、明治六年から九年頃の鹿児島でのことと思われる。明治十年に起こった西南戦争で、西郷さんが命を落として、それ以後は、聖書を教えてくれる人はいなくなり、二夫氏の祖父も父親もクリスチャンではない。(略)

西郷さんが聖書を読んで教えてもいたということは、川邉二夫氏にとって、憧れのようなものとして、ずっと心の中にとどまり続けていたが、自分で聖書を読むことはなかった。キリスト教会に入るにも敷居が高かったという。
転機は、二夫氏が二十代の頃、九州の小倉で住友金属に勤めているときにやってきた。

(略)

表題は“ヨハネ福音書”とあった。二夫氏は、すぐに、それが、西郷さんが読んでいた聖書という本であることに気づいた。
「あっ、これは、西郷さんが読んでいたという聖書だ、と分かって、その場で私は夢中になって読み始めました。」(略)

一九六三年九月、川邉二夫氏は小倉の鍛冶町教会に初めて行き、礼拝に参加した。聖書は西郷さんが読んでいたと思うと、毎朝、毎晩、聖書の言葉をお経のように唱えていたという。
「神は実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは、御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3・16)
このイエス様の言葉を、どこに行っても、繰り返し唱えていたという。もし、西郷さんが川邉家に来て聖書を教えていたことを父親から聞いていなかったら、川邉さんが聖書を開くことはなかったかもしれない。(抜粋)

 

この話、凄いと思う。この人は西郷隆盛に導かれて信仰を持った人なのだ。伝道というのはこういうものだと思う。この人が信仰を持ったことも知らず、自分が導いたとも思わず西郷隆盛は眠っているだろう。しかし、西郷隆盛への憧れがこの人を信仰へと導いたのは確かだ。神は、伝道のために人の生き様を用いられるのだと思う。(ミルトス)

 

 

以下がまた面白い山崎氏のブログ記事。西郷に従った桐野利秋という人物が魅力的。

   ↓

私が一番関心を持つのは、西郷が、征韓論騒動の余波で、征韓論が受け入れられないと見るや、さっさと下野し、鹿児島へ帰郷した時、公職を投げ打って、西郷の後を追った薩摩藩の同志たちである。桐野利秋、村田新八、篠原国幹・・・やその他の多くの近衛兵を主軸とする薩摩藩士たちの決断力である。彼等に迷いはなxかったのだろうか。中でも陸軍少将だった桐野利秋の即断即決の行動は、際立っている。桐野利秋は、元々、西郷とはそれほど親しい間柄ではなかった。西郷や大久保利通等は市内加治屋町の城下士だった。しかし、その加治屋町出身の仲間 - 山崎行太郎の『毒蛇山荘日記』