明るき昼のしじまにたれもゐず ふとしも玻璃の壺流涕す 葛原妙子 『葡萄木立』
この歌を初めて目にしたのは、森岡貞香による「葛原妙子 秀歌50首 選」であった。
高校時代、文学史という教科書があって、授業はなかったのだが、自分で読んで暗記して試験は受けなくてはならなかった。そこで目にしたのが江藤淳や葛原妙子の名だった。
50を過ぎて短歌に興味を持った時、そう言えば前衛短歌というものの中に葛原妙子という歌人がいたなぁ、どんな歌を作る人だったのだろう、と思い、ネット検索したのだった。
そうして、この歌にとらえられた。
私はきちんと覚えるということがなかなか出来なくて、自分の作った短歌擬きもきちんと覚えていないことが多いし、大好きな葛原妙子の短歌もなかなかきっちり頭に入らない。けれど、この歌だけは、心の中で何度愛唱したか知れない。
この歌は、定型をなしていない。「明るき」の後に一字分の余白が設けられている。この余白、この空間に、昼のしじまが拡がる。
明るい、誰も居ない午後、私のこころの中に、この歌が繰り返し響き渡る。
関連過去記事→「葛原妙子43」
「本は、理解するために」ー いい言葉だ。書物を通して他者への理解を、自分自身への理解を深めてきた。若い頃から、本に助けられてきた、そう言える。十代、二十代の頃に読んだ書物が今の私を構成しているとさえ言い切れるほどに。 https://t.co/xzWsffLtmX
— メロメロピー (@syodainekosuke) 2018年9月25日