「何もしない」というのは、物凄くエネルギーのいることだと思う。だいたい、何もしないでいることに堪えられなくなって、焦って動いて失敗する。 https://t.co/w9ZkVvtJAn
— メロメロピー (@syodainekosuke) 2018年3月3日
こんなツイートをしたら、思いのほか多くの方にリツイートや「いいね」をしていただいて、驚いた。
しかし、受難週こそは、十字架の下に座して、十字架から降りようとなさらなかったイエス・キリストを見上げる時だ。
「他人を救ったが、自分自身を救うことができない。あれがイスラエルの王なのだ。いま十字架からおりてみよ。そうしたら信じよう。(マタイによる福音書27:42)
彼はしえたげられ、苦しめられたけれども、口を開かなかった。ほふり場にひかれて行く小羊のように、また毛を切る者の前に黙っている羊のように、口を開かなかった。(イザヤ書53:7)
しかし、イエスは黙っておられた。(マタイによる福音書26:63)
しかし、祭司長、長老たちが訴えている間、イエスはひと言もお答えにならなかった。
しかし、総督が非常に不思議に思ったほどに、イエスは何を言われても、ひと言もお答えにならなかった。(マタイによる福音書27:12,14)