風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

見るべき点は、《動機》!「欲がはらんで罪を生み…」(ヤコブの手紙1:15)


● ルカによる福音書16章1~13節からの説教 「聖書の言葉を聴きながら」
 10節に「小事に忠実な人は、大事にも忠実である」とあります。小さいことに不忠実であるというのは、つまり、日々の小さな出来事を、神の御心とは違うこの世的なやり方でやってしまうことです。そういう人は、大事な大きなことでも、神の御心を求めるのではなく、この世的なやり方をしてしまう。小さいことにも、神の御心に従って、神に喜ばれ、神を友とするためになしていく。使徒パウロは、 「飲むにも食べるにも、また何事をするにも、すべて神の栄光のためにすべきである」(1コリント 10:31)と言いました。わたしたちの全生活、日々の生活、それが主の御心にかなってなされていくように、「御心にかなう業をなさせてください」と祈りつつ、そして、主の日ごとに神の言葉を聞きつつ、仕えていくのです。
(略)
 13節には「あなたたちは、神と富とに兼ね仕えることはできない」という言葉が出てきます。富は神が与えてくださるものであって、神の栄光を表すために用いていくものです。決して富が主人ではないのです。真の主人こそ、真の富・永遠の命を与えてくださるお方です。イエスは、弟子たち、そしてわたしたちが、真の富・永遠の命を得ることができるようにと、この話をしてくださったのです。
 わたしたちに与えられた生きる基準は、神に喜ばれ、祝福されることです。(略)
 罪の世にあってわたしたちの目は、効果があったか、成果が上がったか、そういうことを考えます。けれども、そうではなく、神がそれを祝し喜んでくださる、受け入れてくださることが大事なのです。小さき罪ある僕のなしたことを用いて、神が御業をなしてくださいます。救いが起こるのです。それを信じて、生きていけるように、イエスはお語りくださったのです。(説教「不正な管理人のたとえ」より抜粋引用)

何によって行動しているのか?

人の歓心を買おうとしているのか?

それとも、お金を頼りとしているのか?

冨に仕えようとしているのか?

それとも神に仕えようとしているのか?

神に仕えるとはどうすることか?神に、御心を聴かなくてはならない!

だれでも誘惑に会う場合、「この誘惑は、神からきたものだ」と言ってはならない。神は悪の誘惑に陥るようなかたではなく、また自ら進んで人を誘惑することもなさらない。人が誘惑に陥るのは、それぞれ、欲に引かれ、さそわれるからである。欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生み出す。愛する兄弟たちよ。思い違いをしてはいけない。(ヤコブの手紙1:13~16)


耳の大きな存在というのは「聞く」ことが生きていくうえでとても重要になります。ウサギも耳で聞いて 身を守る。スキッパーたちの耳が大きいのは、戦いとは対極にいる存在という思いがぼくの中にあって、だから耳は大きくなければいけないんです。「聞く」っ ていうことは「受け止める」ってことの代表だとも思っていて、そういう平和主義をイメージしているんです。(抜粋引用)
岡田淳さんって優しい人だろうなぁ、と以前からずっと思っていたのだけれど、本当に優しい人だと思う。(ミルトス)