風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

椎名麟三 ー 彼の軌跡

愛したと言えるだろうか文字の中に入り込み共に生きた人をば
踏んでゆく 乳房に喰らひわが生の母体となしし彼の軌跡を
『邂逅』といふ名前持つ小説を読みたし冬のはじまりの朝

この離人状態は神経症としてだけでなく、分裂病の初期やうつ病の場合にも一過性に現れることがあります。でもそれらの病気が進むにつれてその症状は消失したり、妄想に移行したりします。神経症の場合の離人状態は比較的純粋なそれだけの形で保たれ、しかもふつうの社会生活を一応つづけることもできるのです。分裂病の場合の離人体験は自分が考え、感じ、行動しているという自我の機能性の意識の喪失体験であります。患者は自分が本来の自分ではなく、考えること、感じること、行動することが、すべて他人がしているとしか感じられないのです。さらに、自分の体も自分のものでなく、外界のすべての事物が実在感を失ってしまうという強度の現実感喪失もあります。そしてそのような体験をもっていることに対して不気味な不安感を伴うのがふつうです。うつ病離人体験は、まだうつ状態が軽い時に、自分に対しても、他のあらゆる事物に対しても興味が失われ、それらのものから遊離して、自分自身もよそよそしく感じられ、また、周囲の人とも物とも感情の共感が起こらなくなってしまうという状態です。(赤星進=著『心の病気と福音 下』(ヨルダン社)より)

『夏休み』という川上弘美さんの短編を読んで、この方は離人体験をした人ではないかと思った。
離人症というのは、解離性障害(ヒステリー性神経症、解離型)」の中に含まれるもののようだが、引用した『心の病気と福音』が古いものなので、今はどういう括りになっているかは知らない。


椎名麟三の『愛について』の冒頭、「竹箒」には、子どもの頃、竹箒を持って自分を追いかけ回した母のことが記されている。

 だが、とりわけ私におそろしかったのは、母のヒステリーだった。もちろん、いまになれば、母の胃病もヒステリーも、父が原因であるノイローゼから来ていたのだろうと思われる。…。戦後、梅崎さんや埴谷さんなどと一緒に松沢病院へ見学に行ったとき、躁鬱病の中年の女の患者の、暗い部屋の隅でじっとうずくまっているのを見たが、鉛色に沈んだ暗い顔付といい、私たちを恐れるように眺めた眼付といい、その当時の母とそっくり同じだった。(椎名麟三『愛について』)
「ヒステリー」という言葉は世の中ではあまりきちんと理解されずに遣われている言葉ではないかと思う(私もきちんと理解してはいない)が、椎名は、幼少期のこの体験の故に離人症的な状態をしばしば体験していたのではないかと思う。
私自身には竹箒を持った母に追いかけ回された体験はないが、子どもの頃から、離人症的な傾向を持っていた。「この人は何をそんなに一生懸命になっているのだろう」という風に人を見てしまうところがある。それが、教師となって子ども集団に向かって怒っている時などに、同じ目で私を見ている子どもに出くわしたのだ。自分が遠い世界のように感じて目を向けていた、その目を私に向けている子どもが、いる。椎名麟三がここに居たら私にこんな目を向けただろう、そう思ったものだった。
就職浪人をしている時に、『深夜の酒宴』、『重き流れの中に』、『深尾正治の手記』を読んだ。働き始めると、椎名麟三は読めるものではないのである。教師となって一年目、学級経営に手を焼きながら、椎名を思い浮かべていたのだ。「何をそんなに一生懸命になっているの?」。私が周囲に向けていたと同じ目を、子どもから向けられる。叱るというのは、難しいものだ。本当にその子のことを思っているのか、それが問われる。

本当に愛しているのか?、椎名はそれを問い続けた人だ。懸命になれない、その自分に絶望を感じていた人だ、そう思う。
『雪国』一冊、『人間失格』一冊読んだだけで偉そうなことは言えないとも思うが、「懸命になれない」というのは、川端康成太宰治遠藤周作の中にも見受けられる心性ではないかと思う。ただ、椎名はそのことに真正面から向き合い、取っ組み合って、自分(人間)の中に「絶対なるもの」は無い、と了解した人だということだ。


ある人は、椎名麟三は真の自由を求めてキリストに出会った、と言う。私は何を求めていただろうか?と振り返れば、「秩序」だったと思える。「自由」と「秩序」、相容れないもののように思える。しかし、相容れない、矛盾して見えるものを二つながらにキリストの中には見出すことが出来るのだ。

椎名は、「僕は共産主義なんか忘れてしまいましたよ」(『深夜の酒宴』)と記す。しかし、この社会に共産主義者でありキリスト教徒である人は実在する。そしてそのような人の存在は貴重である。なぜなら、イエス・キリストの前では、分裂したかのように思えるもの、矛盾しているように思えるものがそのままでありながら一つの統体として生きることが可能になるからだ。共産主義でありキリスト教徒である人の存在は、その証明となる。


十代の終わりに私が体験した離人体験は、視覚的、感覚的なものを伴う体験であった。夜、一人の部屋でふと立ち上がろうとする瞬間、自分の体から離れていこうとする自分が見えるように感じるのである。自分の体を自分の手で押さえていなくては分裂して行きそうに思えて、恐怖を感じる。その恐怖のために、ともすれば大声を上げそうになる、そんな体験だった。栄養学のことを色々調べている今から思えば、自炊の下宿生活で栄養不足に陥っていたとも言えるかも知れない。けれど、今でも私の中には、冷めた目で自分を見つめるもう一人の自分が相変わらず、居るのである。

しかし、キリストに出会ったなら、分裂したものを抱えながら自己を保って生きていくことが出来る。それを体験した者として、私は、そう言い切ることが出来る。

あなたがたは、キリストが…お書きになった手紙として公にされています。墨ではなく生ける神の霊によって、石の板ではなく人の心の板に、書きつけられた手紙です。わたしたちは、キリストによってこのような確信を神の前で抱いています。(コリントの信徒への手紙二3:3~4)