風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

どうすることが子ども達の信仰を育むことになるのか ー「子供たちをわたしのところに来させなさい」(マルコによる福音書10:14)

教員時代のほとんどを障害を持った子どもの担当をしていた。中には、言葉を持たない子どももいた。だからその頃から、この子達の救いはどうなるのだろう?と考えていた。しかしこんな問いは、投げかけても返事は誰からも返ってはこないだろうと思えた。以来、これについては不問に付してきた。

 

昨年だったか、教会の月報に小児陪餐について書かれた記事が載った。陪餐というのはパンと葡萄酒(ぶどうジュース)に与るということだ。私の所属する教会では、親の信仰によって授けられた小児洗礼だけで信仰告白をしていない者はこれに与ることが出来ない。けれど、近年小児陪餐を実施している教会が増えてきたというのである。

しかし、これを読んでも私はすっきりと納得は出来なかった。人間の考えることというのは、どこまで行っても、どこかで線引きをすることになると思っただけであった。

親の信仰によって小児洗礼を受けた子どもが聖餐に与ることが出来るようになったとしても、私の問いへの答にはならない。

 

教会において最も大事なこととして、「御言葉の正しい説教」と「聖礼典の正しい執行」ということが言われる。

最近もある書物の中でこの二つを目にしたのだが、ここで「聖礼典の正しい執行」という場合、それはその教派の中の「正しい執行」ということでしかない。近年、未信者も聖餐に与ることができる教会もあるようであるから、そこではそれが「正しい」と言える。

教会に所属していれば、所属教会の決まりに従うのは当然だと考える。秩序を乱せば、共に生きることが難しくなるからだ。

所属教会の秩序を乱すつもりは全くない。しかし、教派内での「正しさ」というだけでは、私の問いへの答にはならない。

 

そこにキリスト教の教会がある、と思って私は教会に行った。自ら行ったが、私は教派を選んで行ったわけではない。その背後に神の導きがあった、と私は考えている。

私は、一人一人の背後に神の導きがあると考える。だから、私自身はこれからも、頭で考えて「こちらの方が正しい」と判断して、他教派に移ることはしないだろうと思う。

そしてどこにあっても、私の問いには最後まで答は返らないだろうと思われる。しかし、彼の地で、神御自身が答えてくださるに違いないと確信している。

 

さて、現実に、礼拝の中で、パンとぶどうジュースを欲しがる子どもがいる。当然である。回りの大人たちが皆、パンとぶどうジュースを飲み食いしているのだから。

こういった場合どうするのが良いだろう?

私がこれまでやってきたのは、陪餐の真似事をするということであった。もちろん長老や日曜学校教師達の了解を得て行ったということだが。

しかし、この了解を得る折、「自分達の子どもが小さかった時には我慢させた」という意見が出た。中には、「このジュースには毒が入っているから、飲んでは駄目」と言って聞かせたという意見もあって、長老から、「恵みのものなのに、毒が入っているなんて言うのは教育的ではないでしょう」とたしなめられたという一幕もあった。「自分達は苦労して我慢させてきたのに」という思いが私たちの心の中にはある、ということが如実に表れた場面だったと言える。罪の中に生きているのである。

こういった話し合いをする場合に押さえておかなくてはならないのは、何を基準に考えるかということだろう。

 

子供たちをわたしのところに来させなさい。(マルコによる福音書10:14)

 

ここでは、どうすることが子ども達の信仰を育むことになるのか、ということを基準に考えるということだと思う。

「このぶどうジュースには毒が入っている」等と言うのは論外だが、ここまで酷くなくても、教会で叱られて育ったために大人になって教会から離れたという人は結構いるのではないだろうか。教会内での自分の子どもの子育てについては、私自身も過去を振り返って反省するべきところが大いにあると言わざるを得ないのだが・・。

教会という所は、耳が不自由になってきた高齢者から赤ん坊までが集う場である。中には痛みや心に悩みを抱えて礼拝に来られる方もいる。痛みを抱えながら、あるいは説教が聞こえにくい中で礼拝するというのは大変な労力を伴う。「子ども達の信仰を育む」ということと同時に、そういった方達への配慮もしなくてはならない。知恵が必要だろうと思う。

さて、子ども達の陪餐の真似事に戻ろう。

配餐の間、牧師館であるいは別室で子ども達もパンやぶどうジュースを飲み食いするというのではなく、大人が聖餐に与る姿を見ながら、片隅で子ども達もパンに与り、ぶどうジュースに与るようにするのが良いと私は考える。

そしてこういった取り組みが、牧師の妻の個人的な取り組みとしてなされるのではなく、教会全体の取り組みとして、信仰教育の取り組みとして、日曜学校教師達の取り組みの中に位置づけられるべきだと考えている。

 

この世の教会に完璧な教会はない。なにかしらの欠けが伴う。改革というのは、内に留まって内側から行うものだろう。教会を転々と変わりながら改革することは出来ない。

罪のこの世にキリストは来て下さり、欠けのある教会のただ中に居てくださるのだ。

 

 …。学生時代に神学を学んだ恩師のほとんど全員を含む「九三人の知識人」が、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世とその宰相ベートマン=ホルヴェークの戦争政策に対して支持声明を発表しました。このことこそ彼に最も大きな衝撃を与えたのでした。

(略)

 牧師バルトが当時行った様々な講演の一つに、開戦翌年の「戦争、社会主義キリスト教」と題された講演があります。バルトはその中で、「平和を欲するならば戦争に備えよ」という言葉に世界大戦の原因を見出しています。この古代ローマ帝国の諺は、古来「平和を守れ」という大義名分のもとにあらゆる戦争が始まったことを示しています。このような軍国主義に加えて、少数の権力者による外交の支配、ナショナリズムの高揚、さらに「生産手段の私的所有に基づく無秩序な利潤追求」こそが戦争をもたらす原因だとバルトは述べています。このような国家と資本の支配に対して、キリスト教という伝統宗教も、アカデミズムの学問も、社会主義運動も、いずれも対抗することができずに屈服したわけです。

 それにしても、人間が正しいと見なす戦争を是認するために、聖書あるいは「神」が引き合いに出されるならば、結局キリスト教は「神」の名のもとに人間自身について語っているにすぎないのではないでしょうか?「神」とは所詮、人間の願望投影ではないのでしょうか?

(略)

「人間は神を語ることができる」という楽観主義こそが、フォイエルバッハ無神論に行き着いたのです。人間が自らの内にある道徳的な最高善、あるいは「神」に限りなく近づくことができるという啓蒙主義的楽観論、そしてその延長線上にあった近代プロテスタンティズムは、必然的に無神論を生み出しました。それゆえ無神論は、従来のキリスト教がわが身に招くべくして招いた審判であるとバルトは考えました。

 こうして自らの土台がいったん崩壊したところからこそ、バルトに真の固有な歩みが始まります。「神を語る」神学の不可能性、つまり神学の一種の「死」こそ、バルトの出発点となったのです。

(福嶋揚=著『カール・バルト 未来学としての神学』(日本キリスト教団出版局)より)