風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

パウル・ティリッヒ説教集『永遠の今』より

教会の古い本を処分するというので貰い受けたパウルティリッヒの小さな説教集を、読まずに持っていた。娘がティリッヒを読みたいというので渡すと、「ティリッヒがこんなことを言っている」と教えてくれるので、気になって、逆輸入のように借りて読んでみた。
以下は、神学校の卒業式で語られたという説教からの抜粋。

病人をいやし・・・悪を追い出せ。(マタイによる福音書一〇・八)
 学窓を去ろうとしている皆さん!友よ!
 イエスがあなたがたを遣わし、あなたがたに癒しの力を与えたもう時、あなたがたが経験する第一の障害は、多くの人たちが自分は癒される必要はないと告げることなのです。そしてもし、あなたがたが、彼らの人生を支配している悪霊を追い出そうという目的でやってきたと主張しても、彼らはあなたがたをあざけり笑い、ちょうどイエスに対して言ったように、あなたがたも悪霊につかれていると、彼らは言いきることでしょう。
 ですから牧師の最初の役目は、人々に自分たちの窮境を知らしめることです。この神学校からいろいろな団体や会衆に遣わされた多くの人たちは、この役目に絶望してしまいました。(略)もちろんこれらの人たちに、その窮境を知らしめることは、容易なことではありません。たしかに神は、かく知らしめる道を知りたもうのです。自ら健康と思っている人たちの自己満足を、外面的にも内面的にも、暗黒と絶望の中へ、投げ入れたもうのです。神は彼らの自己確信のよりどころをくだいて、彼らの現実の姿を示したもうのです。神は、彼らにおのれを見る目のないことを示したもうのです。このことは、私たちには、成就できません。私たちに対してすらできません。しかしこのことが、私たちに起こるその瞬間に、出会うという扉は私たちには開かれているのです。もしこのことがおこれば、私たちは、ほかの人々をいやすかもしれない力の道具となることができるのです。このことをこころみることが、牧師の第一の役目であり、そして多分すべてのものの中で最も困難なものなのです。しかしこの道具として用いられるのは、あなたがただけではないのです。誰でも、潜在的には、ほかの人に対していやしの道具なのです。
(中略)
 このいやしの果たす役割は、あなたがたに、人生の本質と人間状況について洞察することを要求します。ひどい絶望にある人たちは、しばしば、もし病が神の秩序によっていやされるべきものの一つであるとすれば、なぜすべてのものに対する神の秩序は病を含んでいるのだろうかとたずねます。この非常に自然な問いは、私たちの大部分の者にとって、信仰に対するつまずきの石となっていますが、これは神の世界における悪の謎をさし示しているのです。あなた方は、この問いに、ほかのどの人たちよりも多くかかわりあうべきでありましょう。あなた方は、この質問を、「神秘」という語の背後に逃げてしまうことにより、避けてしまってはなりません。もちろん、神秘つまり神の神秘はあります。そしてそれと対照的に悪の神秘もあるのです。しかしあなたがたが、神秘というものを、正しい位置におき、説明ができ、またされねばならぬということを説明することは、あなた方に要求された洞察によるのです。神の秩序の中の悪は、神秘ばかりではありません。それは啓示でもあるのです。それは、人生の偉大さと危険性とをあらわしています。病むことのできる人は、病にならない人よりも、つまり本質的に分裂不可能でただあるがままを余儀なく維持せしめられているだけのものよりも偉大なのです。
(中略)
あなた方が、医者であるとは思われていませんし、精神治療医でもなく、政治的改革者になるとも思われていません。ただあなた方は、救い主(キリスト)のメッセージつまりゆるしと新しい現実の言外に意味されている、いやしの力と悪霊征服の力を、宣べ、理解させることが期待されているのです。あなた方は、別のいやしの方法を、意識していなければなりません。そしてその方法と協力しなければなりませんけれども、その方法を、あなた方が理解させようとしているものの代わりにしてはならないのです。
(中略)
 再確認の言葉で、この説教を終わらせて下さい。おおよそ、この世において、癒しそして悪霊を追い出すために召された仕事ほど、偉大な仕事はありません。この仕事によろこんで下さい。その重荷にうちひしがれないで下さい。たとい、いやされることを望まない人たちとのかかわりをもたねばならぬ重荷にも、うちひしがれないで下さい。あなた方の召命を、よろこんで下さい。自らは病んでいるにもかかわらず、また悪霊が、あなた方やあなたがたの教会の中で生きて動いているにもかかわらず、あなた方は、究極的に癒すことのできるもの、つまり神が悪霊と病気に対して自らの力を現わさせしめたもう方、そしてこの世に存するいやしの力を象徴し、この世を支えそれを神にまで高めたもう方を、あなた方は見ておられるのです。その方のメッセンジャーであることを、あなた方はよろこんで下さい。この場所を立ち去られる時、このよろこびをたずさえて行って下さい。
(この説教は、一九五五年ニュー・ヨークのユニオン神学校の卒業生に対してなされたものです。)(『ティリッヒ 永遠の今』より抜粋引用)

最近、ブログ「巡礼者の小道」で知ったウラジミール・ソロヴィヨフについてウィキペディアで調べていると、「晩年のシェリングとも親近性がある」と記されていた。シェリングというと、ティリッヒが神学を構築していく最初に大きな影響を受けた人物ではなかったか?と思ったのだった。

人生は短い!とつくづく思う。「多くの書を作れば際限がない。多く学べばからだが疲れる。事の帰する所は、すべて言われた。すなわち、神を恐れ、その命令を守れ。これはすべての人の本分である」(伝道の書12:12~13)だ。

しかし、ティリッヒは熱い!