風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

葛原妙子の短歌とキリスト教

私が葛原妙子について書き始めたのは、川野里子氏の『幻想の重量 ー 葛原妙子の戦後短歌』を読んだからである。
川野氏はこの中でこう書いている。

しかし信仰を語るとき葛原にとって「血をわけた」ことがさらに問題になる。亡くなる五ヶ月ほど前に入信した葛原の洩らした言葉が「やっぱりあなたたちと一緒になりたいわ」(『児童文学最終講義』)であったことを思うとき、病重い葛原にとっての入信は、肉親と共にあることと同義だったのではなかろうか。(川野里子=著『幻想の重量』p236)

 ここに先立つ頁には、『縄文』、『原牛』、『葡萄木立』からの三首を上げて以下のように言っている。

ここに描かれているキリストは、先の母子像以上に乾き拉がれている。吹けば飛ぶほどの乾ききった「木の葉」であるキリスト。ピカソの青の時代を思わせるような物思いに沈み、「種」さえ残さない。また三首目などは十字架上に捩れるイエスの美しい裸体を思い描いての作品であろう。イエスが酢を含んだことに思い至り粛然として我に返るかのようである。これらの歌はことごとく象徴的なイエスの像を外れている。神の子ではなく、私たち自身よりも救われ難いひ弱な存在である。こうした歌から窺えるのは、異国の神を異教徒の目でつくづくと眺めるかのような態度である。(p220)

 もう一箇所、『原牛』、『をがたま』からの二首を上げて、

ここには飽きることなくキリストの受苦にさえ美を読み取ろうとする芸術家の目が働いている。あるいは美男好みであったという葛原のこそばゆいような嗜好が働いていたかもしれぬ。同時にここにはキリストという信仰の対象を自らの美意識の磁場に引き込もうとする力業がある。葛原とキリスト教との関わりは、葛原に信仰があったか無かったかという問題ではなく、(以下略)(p366)

 

私は、怒りから、「葛原妙子の短歌とキリスト教」を書き始めたのだ。信仰について、キリストについて、何も知らないで、知ったふうな口をきくんじゃない、と言いたかったのだ。

けれど、葛原妙子について書きながら、妙子の信仰に触れて私は慰められた。この10年近くを、私は、妙子の歌から随分と慰めを得て生きて来たと思う。

 

午後三時わが室内にたふれゐる柱の影を人はまたぎぬ 葛原妙子『をがたま』

 

そして三時ごろに、イエスは大声で叫んで、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」と言われた。それは「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という意味である。(マタイによる福音書27:46)

 

さて、カイサリアにコルネリウスという人がいた。「イタリア隊」と呼ばれる部隊の百人隊長で、信仰心あつく、一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた。ある日の午後三時ごろ、コルネリウスは、神の天使が入って来て「コルネリウス」と呼びかけるのを、幻ではっきりと見た。

彼らに言った。「あなたがたもご存じのとおり、ユダヤ人が外国人と交際したり、外国人を訪問したりすることは、律法で禁じられています。けれども、神はわたしに、どんな人をも清くない者とか、汚れている者とか言ってはならないと、お示しになりました。それで、お招きを受けたとき、すぐ来たのです。お尋ねしますが、なぜ招いてくださったのですか。」すると、コルネリウスが言った。「四日前の今ごろのことです。わたしが家で午後三時の祈りをしていますと、輝く服を着た人がわたしの前に立って、言うのです。『コルネリウス、あなたの祈りは聞き入れられ、あなたの施しは神の前で覚えられた。ヤッファに人を送って、ペトロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は、海岸にある皮なめし職人シモンの家に泊まっている。』それで、早速あなたのところに人を送ったのです。よくおいでくださいました。今わたしたちは皆、主があなたにお命じになったことを残らず聞こうとして、神の前にいるのです。」(使徒言行録10:1~3、28~33)