風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

活性酸素と痛風、そして娘の指

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以下の内容は私の思考過程の覚え書きであり、間違いが含まれているかも知れません。

このタンパク質は大きく…、2個のフラビン分子と2個のモリブデン原子、8個の鉄原子がそれぞれの酵素ユニットに結合している。モリブデン原子は…、酵素の活性部位になっている。鉄原子は[2Fe-2S]フェレドキシン鉄・硫黄クラスターを構成しており、電子移動反応に寄与している。
キサンチンオキシダーゼの活性部位はモリブデン原子に末端酸素(オキソ基)と硫黄原子、末端ヒドロキシル基が配位した…で構成されている。…。
ヒトを含む霊長類では尿酸を分解する酵素を持たず、尿酸はプリン体の最終産物である。
キサンチンオキシダーゼは夜間から早朝かけて活性化される。そのため高尿酸血症による痛風発作は夜間に多い。(ウィキペディア「キサンチンオキシターゼ」より)

このウィキペディア「キサンチンオキシターゼ」の冒頭には、活性酸素種を発生させる…の型の一つ」と記されている。

痛風発作は、尿酸塩結晶が関節液中にはがれおちたさい、…、好中球を中心とした血液細胞が尿酸塩結晶を排除しようとすることでおこる炎症反応である。(中略)そのほか、…、好中球からの活性酸素などさまざまな物質が関係する。
(中略)
痛風発作はある日とつぜん発症する。軟骨などに析出した尿酸塩結晶が長時間の歩行、靴でしめつけられるなどで関節液の中に遊離すると、好中球などの血液細胞は結晶をからだに対する異物として認識し、排除しようとする。そのためにおこる激烈な炎症が痛風発作である。(山口和克=監修『病気の地図帳』(講談社)より抜粋)

白血球はリンパ球、単球、顆粒球という3つの系統に分かれている。顆粒球の中の好中球は異物を排除する際に活性酸素を放出する(『目でみるからだのメカニズム』)


溝口徹=著『「脳の栄養不足」が老化を早める!』(青春出版)の図を見ると、活性酸素酵素によって分解されると形を変えていくことが分かると思う。
過酸化水素酵素によって処理されると無害の水に変えられるが、その一部は「細胞内の銅や鉄と反応して、ヒドロキシラジカルという活性酸素に変わる」と本文中でも記されている。

いくつかの栄養素の本に、「銅の不足で白血球が減少する」と書かれたものがある。また、ネットの検索で目にしたものの中にも、「銅欠乏症で白血球の減少(主に好中球減少)」と記されたものがあった。
銅や鉄は活性酸素を消去する働きをするのだが、逆に活性酸素を構成する物質であるとも言える。


痛風発作においては、結晶化した尿酸塩が剥がれ落ちることを引き金として好中球などが活性酸素を放出することで炎症が起こると考えられるが、プリン体が尿酸へと代謝される過程の中でキサンチンオキシターゼが働く時にすでに活性酸素が組織を傷害していると言えるのではないだろうか。


ウィキペディア「キサンチンオキシターゼ」「鉄原子は…、電子移動反応に寄与している」と記されている。この「電子移動反応」の部分ではビタミンB2が関わっていると思う。
また、酵素というタンパク質を造る大元のところで亜鉛が関与しているだろう。亜鉛はタンパク質の分解にも合成にも働くはずだ。


括弧内再検討の余地あり。


溝口氏は、「細胞内の銅や鉄と反応して、ヒドロキシラジカルという活性酸素に変わる」と記しておられるのだが、キサンチンオキシターゼについてだけ見ると、銅ではなく鉄が酵素内に組み込まれている。栄養素の本などで「銅欠乏症で白血球の減少(主に好中球減少)」と記されているのは、銅含有酵素であるセルロプラスミンがなければ鉄は輸送されないので、鉄輸送の段階で銅が関わっているということではないだろうか?

いずれにしても、キサンチンオキシターゼの合成に銅が使われてしまうために、真皮を構成するコラーゲン形成ができない上に、キサンチンオキシターゼが放出する活性酸素によって娘の指先が傷害されるということがあるように思われる。痛風結節が血流の乏しい部位で出来やすいということを考えると、セルロプラスミンの合成不足で血流が悪くなっているということがここでも関連しているように思われる。
昨日のブログ記事で、「鎌状赤血球貧血」が黒人に多い遺伝子型だとネットの検索で知ったと書いたが、これ等も、黒色メラニンを造る方に銅が使われるために赤血球を造る方で不足するということが言えるのではないかと考えている。

体内で、プリン体と、モリブデン、フラビン、鉄などが多くある場合にキサンチンオキシターゼが造られ、活性酸素を放出し、また尿酸が増え、体内が酸性に傾くと尿酸結晶を生じるということではないだろうか。そして、イオウである。続きはまた後日。