風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

風鈴


風鈴の垂れてしづけし戦争に移らん時の静けさに似て 鈴木幸輔『長風』(1954年・白玉書房)
毎日の新聞の見出しが危うくなってきた。70年あまり続いた日本の平和が終るのではないかという気配だ。といっても、戦争を知る世代が減ってゆくなかで、戦後生まれの人々が、戦争がどんな風に始まるのか、簡単にイメージできるものではないだろう。
この歌は、終戦直後に詠まれた。(略)戦争の始まりは、しいんとした無音の中に密かに進行するのだといっている。「風鈴の垂れてしづけし」は、ただ無音であると言うだけでなく、言論を封殺されて言論人がモノを言わなくなった「静けさ」を思わせる。穏やかな「静けさ」ではなく、抑圧されて不気味な「静けさ」である。肌感覚でそれを知っている言葉に重みがある。(文=今井恵子『一首鑑賞 日々のクオリア』より抜粋引用)

上にリンクさせて頂いた短歌と今井恵子さんの解釈を拝見して、過去の自分の句を思い起こした。


鳴り渡る秋の風鈴路地静か


まだ、風鈴は鳴り渡っているだろうか?
しかし、次の選挙の後、風鈴が垂れて不気味な静けさに包まれるかも知れない。
風鈴を鳴らし続けたい。