風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

片山洋次郎さんの「体癖」のこと2

片山洋次郎さんの本で「体癖」について書かれたところを読んでいると、「血液型のような固定的分類でなく、個人の中にこれら六つの要素の濃淡があって、その偏り方で体質や性格の基礎が決まってくる」と書かれている。私は開閉型9種にほとんど当てはまるのだが、上下型1種にも共感する部分が多くある。

 上下型(頭脳型)1種は、頭に集まったエネルギーを言語的に整理することによって発散させている。
(中略)
 頭脳型は眠りによってエネルギーを発散させる傾向も強いので、眠りが長く、また質は浅く、眠ることを好む。(片山洋次郎=著『整体。共鳴から始まる』(ちくま文庫)より抜粋)

片山さんの本は家に三冊あるが(実は夫が買ったもの)、その中で私はこの本が一番読みやすい。図とか絵とかがあまりなく、文字で書かれた部分が圧倒的に多いからだ。

自分にぴったり当てはまると思える9種なのだが、「F1のレーサーの顔つきを見ると、眼と眼の間の間隔が狭い。激しい意識の集中の結果そうなるともいえるが、体質的にも9種の傾向が強く、骨盤も縮んでいる」(『整体。』)というようなところを見ると、顔つきは違うな〜と思う。
外側から見ると私は穏やかそうに見えるようで、娘は子どもの頃から同級生などに「優しそうでいいねぇ」と言われることが多かったようだ。最近も牧師の娘仲間から「優しそうで穏やかそうでいいね」と言われたらしく、「うちの母は中身は苛烈な人だよ」と中身のあれこれを話して聞かせたら、どん引きされたと言っていた。私くらい優しい人間はいないだろうと自分では思っているのだが。

別の本に、9種の人は、「睡眠は短く深く、蹴飛ばされても起きないほどです」(『骨盤にきく』)と記されているのだが、これも全く当てはまらない。若い頃は、家に帰ってくると寝ていた気がする。働いていた時、就寝は夜10時だった。土曜の午後はずっと寝ていて、月に何回か生け花を習っていたのだけど休んでばかりで、一応習っていたという年数だけは長いのだが、実質通った時間を纏めると、本当に習っていたと言えるのだろうか?というような時間にしかならない。日曜も、礼拝から帰ったらお昼を食べて午後は寝ていることが多かった。借りてきた説教テープを聴き直すこともあったが。

自分では当てはまらないように言っているが、娘も、この上下型に当てはまるように思う。子どもの頃は寝るのを嫌がり、保育園でもお昼寝が嫌で登園拒否したことがあったが、今は、気疲れが激しいらしく寝てばかりいる。