風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

お前たちの愛は朝の霧、すぐに消えうせる露のようだ(ホセア書)

お前たちの愛は朝の霧
すぐに消えうせる露のようだ。(ホセア書6:4)


私達は誰一人として他者を完全に愛することなど出来ない。
けれど、このことを認めるのは容易なことではない。
愛せないということは、誰からも愛されないということだからだ。
しかし、このことを知らなければ、キリストの十字架が私のためであったと受け止めることは出来ない。
私達は罪に堕ちて愛することが出来なくなっているのだ。
けれど私達キリスト教徒は、神が私を愛して下さっているということを知っている者達だ。
私達は、神に支えられて死に、神に支えられて生きるのだ。
人に支えられて生きるのでもなければ、まして自分の力で死ぬのでもない。


神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。(ヨハネ福音書3:16)

それとも、あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスに結ばれるためにバプテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるバプテスマを受けたのである。すなわち、わたしたちは、その死にあずかるバプテスマによって、彼と共に葬られたのである。それは、キリストが父の栄光によって、死人の中からよみがえらされたように、わたしたちもまた、新しいいのちに生きるためである。(ローマ人への手紙6:3,4)

キリストは…。さらに、わたしたちが罪に死に、義に生きるために、十字架にかかって、わたしたちの罪をご自分の身に負われた。その傷によって、あなたがたは、いやされたのである。(ペテロの第一の手紙2:22,24)