風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

芳賀言太郎のエッセイ 特別編〜イスラエルの旅 聖地エルサレムを訪ねて〜 


● イエス時代のシナゴーグ跡発見、新約聖書の正確さ裏付ける重要な証拠
シナゴーグ跡は考古学者の遺跡発掘チームによって発見されたもので、聖書朗読と説教用に設計されており、ささげ物や礼拝用ではないという。このことは、そのシナゴーグがイエスの教えの働きの場として適していたことを物語っている。(抜粋引用)

芳賀言太郎のエッセイ 特別編〜イスラエルの旅 聖地エルサレムを訪ねて〜
 2016年8月14日、私はイスラエルにいた。テル・アヴィヴのベン・グリオン空港でこの原稿を書いている。昨年に引き続き、私はガリラヤ湖南端のタボル山近くにあるテル・レヘシュ遺跡の発掘調査にボランティアとして参加するためにイスラエルを訪れた。今回の発掘調査では、福音書に記述のあるガリラヤ周辺の「会堂」である可能性のあるイエス・キリストの時代のシナゴーグ跡が発見されるなど(http://www.christiantoday.co.jp/articles/21819/20160823/synagogue-jesus-time-confirms-accuracy-new-testament.htm)、一人のボランティアとしても有意義な二週間であった。昨年はガリラヤ湖周辺のイエスの足跡について書いたので、今年はエルサレムについて書きたいと思う。

(写真1枚)

 エルサレムは聖地である。イエス・キリストが墓の中から蘇った場所を記念する教会、ユダヤ教徒の信仰のよりどころであった神殿の一部である嘆きの壁、そして、ムスリムがメッカに向かって祈る黄金の岩のドームがある。世界を代表する3つの宗教の聖地がここエルサレムに存在しているのである。

(写真1枚)

 旧市街は混沌としている。ユダヤ人地区、キリスト教徒地区、ムスリム地区、アルメニア正教教徒地区と大まかに分かれているが、主要な通りはムスリム地区を通っており、スーク(アラビア語で「市場」の意味)と呼ばれる露店市場と化している。シナモンやターメリックなどのアラブの香辛料が鼻をつき、食料品から日用品、宝飾品や土産物まで、実に雑多な売り物が路地に溢れ出している。…。
 人々の生活の断片が如実に現れる。人々の日々の営みが露出しており、聖地といっても普通の人間が日常の生活している場所であることに、なんだか感覚的に親しみを覚える。

(写真2枚)

 ヴィア・ドロローサ(Via Dolorosa:「苦難の道」)。キリストが十字架を負ってゴルゴダの丘まで歩いたことを追体験する道が残っている。1から14までのステーション(「留」)があり、それぞれに由来がある。

(略)

 そして最終的には聖墳墓教会にたどり着く。(中略)…、今から2000年前にイエス・キリストはこの場所にいた、という史実がリアリティを持って何かを訴えているように感じる。

(写真3枚)

 シャバット。ユダヤ教徒安息日である。…。シャバットに「嘆きの壁」に行く機会に恵まれた。「ユダヤ戦争」(66年-74年)によってローマ軍によって徹底的に破壊されたエルサレム神殿のわずかに残った西壁といわれる場所である。敬虔なユダヤ教徒が熱心に祈りを捧げている。一心不乱に体を揺すり、神に願う。トーラーを重厚な声で読み上げる。この場所、空間が神聖なものであり、清いものであり、穢れといったものが一切入り込んでこないように感じる。自分が場違いな場所に立っていて、自分自身がこの場の異物として存在しているように思わされる。私は神に祈るときこのように祈ることができるか、そう自問するが、答えは決してできないということであることがわかっている。彼らは祈るとき、自分自身の周りのものが全て消え去り、神と一対一の対話をするのだろう。それは私がまだ経験したことのない境地であることだけは理解できる。

(写真「嘆きの壁」等、略)

 オリブ山からエルサレムの街を望む景色は素晴らしいものだ。…。

(写真1枚)(抜粋引用)


コラム 僕の愛用品 〜発掘調査編〜
第1回 時計
TIMEX CAMPER タイメックス キャンパー \6.700

 発掘作業時の時計に求める機能は耐久性である。発掘現場は過酷である。時計は埃にまみれ、露出した岩で傷がつく。粉塵が入り込み時計が動かなくなってしまっては意味がない。そして、それと同じくらい重要なのは、逆説的ではあるが、時計としての主張が強くないことである。具体的には軽くて小さいこと、つまり作業の邪魔にならないことである。

(中略)

 シンプルであること、このCAMPERはそれに尽きる。ただ、極限まで無駄を削ぎ落とすことを目的としたシンプルさとはまた違う。必要なものだけを単純化したある意味ではチープなシンプルさである。ある人はこれを「この世には時計よりも大切なものがあることを知っている人の時計」と評した。…。(抜粋引用)