風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

芳賀言太郎のエッセイ 特別編〜北北東に進路を取れ! 東京 ― 岩手540kmの旅〜 

芳賀言太郎のエッセイ 特別編 〜北北東に進路を取れ! 東京 ― 岩手540kmの旅〜
東北の地に巡礼路をつくるために。

第1日目 東京 ― 栃木 〜北を目指して〜
5月20日(木)  池袋 ― 所沢 ― 川越 ― 東大宮 ― 小山 ― 栃木
 なぜ、東京から岩手まで自転車で行こうと思ったのか。もしくは、行けると思ったのか。正直なところわからない。ただ、…。事の始まりは、私が岩手で開催される、ヒルクライムレースに参加することになったことである。
 岩手県大槌町。ここで三陸海岸初のヒルクライムレースが開催されることになった。「第1回おおつち新山ヒルクライムレース」。なぜ、わざわざ遠く離れたレースに出場することに決めたのか。それは第一に初開催であったため、そして東北が開催地であったという点である。
 私の父は福島県福島市飯坂町、母も同じく福島県双葉町出身である。子どもの頃は夏休みとなれば飯坂温泉の鯖子湯に温泉につかりに行ったり、双葉の海で海水浴をしていたのだが、福島第一原子力発電所の事故のため、母の実家は今も立ち入り禁止で、父の実家の近くの大好きだったニジマスの釣り堀は風評被害のため潰れてしまった。叔父が送ってくれていた双葉産のコシヒカリももう届くことはない。
 東日本大震災の犠牲者をどのように悼み、被災地をどのようにして再生していくかを考えたとき、自分が経験したサンティアゴ・デ・コンポステーラの巡礼路が一つのヒントになるように思われた。津波原子力発電所の事故によって荒廃した東日本の太平洋岸地域に、鎮魂と再生のための巡礼路を創ることはできないだろうか。それを通して人を呼び、ものを集め、お金を循環させることができるのではないだろうか。そんなことは不可能だろうという声が聞こえてきそうではあるが、建築をつくるということ自体に大きな疑問が突きつけられている状況の中で、道を造るということは一つの別解になるような気がした。巡礼路を造るのにはダンプカーもショベルカーも必要ない。誰かがその道を「巡礼」として歩けば、もしくは自転車で走れば、その道が巡礼路となるのだ。一人二人ではどうにもならないのではあるが、それでも最初の一人が歩かないことには始まらない。まあ、今の自分にできることはそれぐらいしかないのである。

(中略)

 そして道に迷う。(中略)
 …。なにより、この道でよいのかどうか考えながら走るのは物凄いストレスである。そもそもルートを決めていないのが悪い。一人旅だから好き勝手に出来るのは良いのであるが。

写真6枚目、昼食 うどん
      自転車とうどんは相性がいい。(?ミルトス)

(中略)

 今日の目的地であり、宿泊場所である栃木教会に向かう。父の仕事の関係で宿泊場所を提供していただけることになったのだが、これは単に宿泊代を浮かそうとしてのことではない。これにはもう一つの目論みがある。教会のアルベルゲ化計画である。じっさい、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼路が巡礼路たり得ているのは、一泊5ユーロ(500円!)程度で宿泊することのできるアルベルゲ(巡礼宿)の存在があるからである。…。そこにはどうしてもボランティアベースで安価に宿泊を支えるシステムが必要なのだ。…。じっさい、仕切りもない大部屋に枕も布団もないマットだけの二段ベッドがずらりと並ぶだけの、鍵もかからなければプライバシーもない、でもオスピタレロ(世話人)の暖かな配慮だけはたっぷりあるアルベルゲがあるからこそ、巡礼路は巡礼路として機能するのである。だからジット(簡易宿泊所)しかないフランスの巡礼路は、どんなに道が整備されていても、やはり実際に歩く人は多くはない。東北に巡礼路をつくろうと思えば、やはりそこにはアルベルゲが必要なのである。
 だからといってそのために土地を取得し、アルベルゲにふさわしい建物を設計し、運営の仕方をデザインするというのもすぐにはできない。まずは、すでにそこにある建物をアルベルゲとして使ってみるという試みをしてみようというのである。宿泊するとなると…。枕もシーツも不要。敷き布団だけ用意してもらえば、持参の寝袋を使うので大丈夫ということを前もって重々お伝えしておいた。この程度の事であればそれほどの手間ではないと思ってもらえれば成功である。そして次の《巡礼者》を迎えてもらえればと思う。

(栃木教会写真等、略)(抜粋引用)

コラム 僕の愛用品〜自転車編〜
第1回 ロードバイク TREK1.2 68.000円(中古品)
(略)
現在、ツール・ド・フランスのオフィシャルサイトでは、1999年から2005年までの優勝者は空欄となっているが、その間のことを「なかったこと」にしてしまおうという姿勢には疑問を感じる。人は起こってしまった「悪いこと」を「なかったこと」にすることはできない。むしろなぜそんなことが起こってしまったのかを−痛みを覚えながらでも−記憶し続け、考え続けることなしには、なかったことにされてしまったことはまた−こんどは別な形で−繰りかえされてしまうのではないだろうか。現在、このアームストロングをテーマにした映画「疑惑のチャンピオン」 (2015)が上映中である。また、彼のドーピング問題を扱った本「偽りのサイクル」も翻訳されている。ツールの休息日にでも足を運ぼうかと思っている。
 …。
 トレックの歴史は、1976年にアメリカ・ウィスコンシン州の小さな赤いガレージから始まった。現在では自転車総合メーカーとして圧倒的な存在感を示している。1992年にトレックの代名詞となったOCLV「オプティマム・コンパクション・ローボイド」カーボンを開発し、カーボン内の空気含有率を極限まで低くする特殊な製造法で超高剛性のカーボンフレームを生み出した。これがランス・アームストロングに提供されてツール・ド・フランスを7連覇。高性能ロードバイクの代名詞的存在となり、それまではイタリアを中心としたヨーロッパブランドが中心であったロードバイク界に革命を起こした。
 …。熊谷の中古自転車店に運よく残っていたものをネットで見つけて即電話を掛けて買ったものである。その帰り道、熊谷から東京まで70kmを自走して帰ってきた時に、このTREKは私の相棒になった。
(抜粋引用)

以下、『福島で生きていく』木田惠嗣×朝岡勝(いのちのことば社より、「はじめに」と目次を写真で掲載。


大学院二年生の長女は修士論文を出す間際で、就職も決まっており、四月には福島県外に出ていくはずでした。そんな娘に、「お父さんたちはそれでいいけど、私は人生に未練がある」と言われたら、それもそうだと思いましたし、いろんな人を逃がして自分の娘が一番最後になったということも、親としてショックでした。(抜粋)

木田先生は、夫の実家の裏の教会にいらした先生で、私も何度かお会いしたことがある。
そこに教会があって、人がいれば牧師は語らなければならない。原発事故後、夫も、もし福島の教会が呼んでくれるなら福島に帰って語りたいと考えていたようだが、今のような健康状態では難しいだろう。
補助金の問題から政府は福島へと帰還させようとしているようだが、それだけではなく、そこで生きるほかはないという人々もいるだろう。そこで生きていく限りは、このブックレットの目次にもあるように「生き抜くための知識を」持って、自分自身で考えていかねばならないと思う。
そして、それをどう支えていくかが私たちの課題となるように思われる。