風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

海辺のまちにも   


● 薔薇垣や路地に夫婦の町工場 『光声日記*徒然なるままに俳句にて日常を詠む*』

江戸期より勇魚(いさな)を捕りて糧とせる海辺のまちに憂ひは満ちて
飲食(おんじき)の煩ひに満つ古里の海辺のまちにも主は来たりたまふと


エスは海べにおられた。(マルコ5:21)
エスガリラヤの海べを歩いて行かれ、シモンとシモンの兄弟アンデレとが、海で網を打っているのをごらんになった。(マルコ1:16)
そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた…あらわされた。(ヨハネ福音書21:1)


潮の香の開け放たれし窓辺より流れ来りてキリストの顕(た)
魚市場ありし路地裏夕映えて鳶降り立ちぬ 明日、雨となる


鬼海さんの『TOKYO VIEW』の中に「魚屋の路地」という作品がある。魚を入れる木箱やトロ箱が高く積み上げられた路地の写真。今はどうか分からないが、撮影された1984年時点ではここに魚屋がまだあったのだ。この写真集の中では、暗い印象の写真である。
私がこちらに帰って来てから見たかつて魚市場のあった路地は、残照の中で蜃気楼のように明るくゆらめいていた。


その人が入って行ったとき、ケルビムは神殿の南側に止まっており、雲が中庭を満たしていた。主の栄光はケルビムの上から立ち上がり、神殿の敷居に向かった。神殿は雲で満たされ、庭は主の栄光の輝きで満たされた。ケルビムの翼の羽ばたく音は外庭にまで聞こえ、全能の神が語られる御声のようであった。(エゼキエル書10:3〜5)