風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

芳賀言太郎のエッセイ 特別編 〜カンボジア滞在記3〜

芳賀言太郎のエッセイ 特別編 〜カンボジア滞在記3〜
 「ひろしまハウス」はプノンペンの中心部、メコン川とトンレサップ川の合流地点にほど近いウナローム寺院の西門の入口にある。

(「ひろしまハウス」の写真1枚、写真はリンク先で直接ご覧ください。

 1994年に広島で開催されたアジア競技大会に出場したカンボジア選手を応援した広島市民が中心となって、内戦で疲弊したカンボジアの人々を力づけるために、「平和を愛する人々による交流施設」として建設されたものである。設計は石山修武。多くの人々が資金集めやレンガ積みに参加し、着工から11年を経た2006年に完成した。

(中略、この間、写真4枚)

そして、私はルイス・カーンの言葉を思い出す。

 あなたは煉瓦にこう問いかけます。「あなたは何になりたいんだ」と。煉瓦は答えます。「私はアーチが好きだ」。・・・

 ルイス・カーンの建築の素材とオーダーについての言葉であるが、素材の特性を理解し、それが最大限活かされるように設計することは建築家の役割である。ただ、この「ひろしまハウス」はそういった煉瓦の特性や素材の要素といったものを超えているように思う。…。煉瓦とコンクリートの柱によって構築された圧倒的な建築空間としての力は私がサンティアゴ巡礼で体験したロマネスクの粗い石の教会に共通するものであった。

(写真1枚)

 階段が空間を貫いている。壁、柱、床といった水平、垂直で構成される中では階段は斜めに空間を切断する。そして、階段のもつ表情によって建築の印象は大きく異なる。この「ひろしまハウス」は階段の建築である。

(中略、この間にも写真あり)

 カンボジア、この美しくも、暗い過去を背負う国は私たちに何を示しているのか。「砂漠が美しいのは井戸を隠しているからだ」とサン=テグジュペリは「星の王子さま」の中で描いたが、カンボジアが美しいのはポルポトの過去を背負っているからなのかもしれない。

カンボジアの少年の写真1枚、この少年の写真が私はとても好きだ(ミルトス))(抜粋引用)


コラム 僕の愛用品 〜カンボジア、フィールド・ワーク編〜
第3回 トラベラーズノート \3,887

 トラベラー、いい響きである。私の旅はどちらかといえばバックパッカースタイルであるが、今回の旅はスーツケースを持っていったので、バックパッカーを名乗るわけにはいかない。カンボジアでの私はトラベラーであった。
 「トラベラーズノート」は日本の文具メーカー「MIDORI」が販売する手帳のブランドである。…。革カバーはタイのチェンマイで作られて、カバーには「MIDORI」と共に「MADE IN THAILAND」のエンボスが押されている。

(中略)

 トラベラーズノートとは言っても、旅行の時にしか使えないというわけではく、私はカレンダーのリフィルを挟み、日常生活ではダイアリーとして使用している。
 メーカーのサイトには、「このノートを携えることで、旅するように日常を過ごしてください。毎日見ている景色のなかに新しい風景を見つけることが出来るかもしれません。」とある。旅とは電車や飛行機に乗らなければできないものではない。日々の日常もまた旅である。そのことに気がつかせてくれるのが、旅の相棒であるこの「トラベラーズノート」なのかもしれない。(抜粋引用)


● 神戸から三陸、そしてフクシマへ:映画『LIVE!LOVE!SING! 生きて愛して歌うこと 劇場版』
映画ではまず、主人公が通う神戸の高校で若い高校教師が卒業記念の合唱会で『しあわせ運べるように』をやりたいと言い出します。高校教師は震災で兄を亡くしているため、この歌に思い入れがあるのです。だけど福島から神戸に避難してきている主人公の朝海はそれに猛反発します。浪江町(映画では名前は変えてあります)に住んでいた彼女にしてみれば、歌詞にあるように故郷が元の姿に戻せるはずがないから、です。
(中略)
誰もいない校舎の屋上に浅海は登っていきます。目の前には綺麗な海と青い空、原発の煙突、それにフレコンバッグと瓦礫が広がっている。理不尽な現実を目の前にして朝海はあることに気が付きます。廃墟を前にして、『生きる』と言うことを彼女なりに理解するのです。そのことで彼女は現実に『勝利』したかのようです。映画でも音楽でも絵画でも小説でも、時に芸術は現実を乗り越えることがあります。この映画には、人間が理不尽な現実を乗り越える瞬間が描かれています。
(写真1枚)
映画の最後にもう一度『しあわせ運べるように』が流れます。旅の途中 高校教師は『この歌を歌わせるのは福島の人にとっては暴力だ』と気が付いています。ですが、浅海は今度は歌います。もう、この歌の違和感も押し付けがましさも感じられないのです。どういうことなのか、と思いますでしょ(笑)。それが芸術の力です。(抜粋引用)