風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

愛せないというのは、いつか必ず死ぬというところに起因している

振り返ると、すぐ目の前に氷のような眼、蒼白の顔、恐怖で引きつった唇が見えた。深夜ミサの人ごみの中ではじめてそばで彼を見たときと変わっていなかったが、あのときと違って心の震えるような愛情ではなく、底知れない失望を感じた。(ガルシア・マルケスコレラの時代の愛』より)

自分は人を愛せない人間だと最初に感じたのは中学の頃だった。けれど、愛せないというのは、こういった生理的なものや感情的なものだけをいうのではない、と思う。


愛せない苦悩というのは、「人はいつか必ず死ぬ」というところに起因している。「愛する者を死から救うことができない」というところに。つまり、愛せないという思いは、無力であるという思いに根ざしている。


ドストエフスキーの苦悩は、愛する妻の病床から始まった。

 ・・。そして、小林秀雄E・H・カーにならって、『手記』の陰鬱な気分と苛立たしい調子を醸しだした要因としている一八六四年冬の不幸一色の作家の生活が、おそらくそれを補完するものなのだろう。その冬、ドストエフスキーは、肺病で死にかかっていた最初の妻マリヤの病床に、自身が痔疾と膀胱炎に悩まされながら、ほとんどつききりで看護にあたり、かたわら『地下室の手記』の執筆を進めていた。マリヤは、『手記』の第二部がまだ完成していなかった四月十六日、世を去った。その日の日記にドストエフスキーは次のように記している。
「キリストの教えどおり、人間を自分自身のように愛することは不可能である。地上の人性の掟がこれをしばり、自我が邪魔をする・・・人間はこの地上で、自身の本性に反した理想(自他への愛を融合させたキリスト)を追求している。そして、この理想追求の掟を守れないとき、つまり、愛によって自身の自我を人々のために、他者(私とマーシャ)のために犠牲に供しえないとき、人間は苦悩を感じ、この状態を罪と名づける。そこで人間はたえず苦悩を感じていなければならず、その苦悩が、掟の守られた天上のよろこび、すなわち犠牲と釣合うのである。ここにこそ地上的な均衡がある。でなければ、この地上は無意味になるだろう」(ドストエフスキー地下室の手記』(新潮文庫)訳者、江川卓「あとがき」より)








昨日あれから、お店に薔薇の鉢植えを見に行った。売れ残っていたので買ってきた。名前の札を見ようと手を伸ばすと花びらが零れた。もう2週間くらい前に見かけたものだから、長く咲いていたのは終わりかけている。「カティ」という名前の薔薇だ。「みどりのゆび」を持っていないから、また駄目にするんじゃないかと思ってやめたのだったけど・・。