風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」芳賀言太郎のエッセイ第19回

「El Camino(エル・カミーノ) 僕が歩いた1600km」第19話 雨の中 〜寒波の中のメセタ〜
 イングランドで開催されたラグビーワールドカップでの日本代表の活躍は記憶に新しいところである。そのラグビーにおいて現在世界ランキング1位であり、今大会の優勝国のニュージーランド、通称オールブラックスは試合前にある儀式を行う。ハカと呼ばれるこの試合前のパフォーマンスはマオリの戦士が戦いの前に、自らの力を誇示し、相手を威嚇する踊りをルーツにしているが、これは、対戦を望んでくれた、また受け入れてくれたチームに対して敬意を表すものである。現在のハカには、最後に首を切るようなジェスチャーが含まれていて、かつて問題になったこともあったが、これは「自分の首をかけて戦う決意を示すもの」である。

(中略)

 フロミスタから歩き出してすぐ、雨が降り出す。雨だろうが何だろうが目的の町までは辿り着かなくてはならないのが巡礼である。…。雨は1日中降り続いた。こんなに雨が降るのは巡礼中で初めてである。…。初めて体験する本格的な雨と寒さで体力が奪われる。通る町ごとにバルを見つけて雨宿りである。バルでのカフェ・コン・レチェが体を温めてくれる。休み休み歩いていく。

(写真、リンク先で直接ご覧ください。

 今日の目的地のCarrion de los Condesに着いても雨は降り続いている。…。温かいシャワーを浴びたときようやく生きていると実感することができた。
 夕方になり、雨が上がった。町を散歩する。たくさんの教会や修道院のある町である。町のはずれの修道院礼拝堂はスリットになったステンドグラスからの光が幻想的で美しかった。現代的でありながらも普遍的な美しさを備えているように感じた。修道女たちが礼拝堂に来て、あなたは巡礼者ですかと質問された。Siと答えると手を合わせてスペイン語で何か言葉をかけてくれた。おそらく「神のご加護があるように」と言ってくれたのであろう。このときには不思議とすんなりとその言葉を受け入れることができた。というより、本当に何かを受けとったように思った。挨拶の一つの形式としてではなく、その言葉、行為に純粋な何かを感じたのだ。それは日本での生活やこれまで歩いてきた巡礼路での体験とは意を異にする感覚であった。修道女たちの日々の敬虔な生活から醸し出される何かなのだろうか。その不思議な感覚は正面のライトに照らされた十字架に架けられたイエスのイコンによってより助長されたのかもしれない。

(写真)

 次の日も朝から雨が降り続いた。…、止みそうにはないので歩き出す。…。今日の宿まで、生きるために歩いているという状況であった。天候は心に大きな影響をあたえるものである。雨の日のどんよりとした分厚い灰色の空は人間の活力や希望といった心のエネルギーを吸い取っているのではないだろうか。…。
 宿の食事も薄くて硬い肉とパン、それにスープと簡素であり、沈んだ気分のまま食事を終えるとすぐに寝袋にくるまり、寝た。

(写真「雨の道」が2枚続く。写真はリンク先でどうぞ。

 翌日は晴れた。そして、目的地のSahagunにはすぐに着いた。サアグーンは殉教者聖ファクンド(SAN FAGUN)に由来するローマ時代からの宿場町である。(中略)

(写真)

 町を歩き、レンガ造りの教会に足を運ぶ。これまで見てきたロマネスクの教会とは趣が異なり、イスラムの香りがする。…、ところどころにイスラム建築の断片が垣間見える。

(中略)

 夕食は宿の食堂でとることにする。温かいスープが心から美味しいと思った。(抜粋引用) 


コラム「僕の愛用品」の19回目は、音楽プレイヤーiPod nano  \17,800(現行モデルである第7世代の価格) 

 スティーブ・ジョブスはリーバイス501のコインポケットからこのiPod nanoを取り出した。衝撃的なプレゼンテーションでナノという名にふさわしいプロダクトである。…。
 音楽は人間と密接に関係している。陸上競技ではサブグラウンドで選手たちがイヤホンをしながら、ウォーミング・アップをしている場面を良く見かける。サッカー選手がスタジアムまでのバスから降りる時も音楽を聴いている。
 別にスポーツ選手が音楽好きということではないだろう。世界最高レベルのスポーツ競技者が、その最高の舞台で競技と関係のないことをしているはずがない。音楽を聴くのは、トレーニングをしたりストレッチをしたりするのと同じレベルで、アスリートにとって必須のものなのだ。
 …。テンションを上げるときもあれば、リラックスさせるときもある。きっと、身体のパフォーマンスを最大にするためには、目からの情報や頭からの指令を一旦キャンセルして、身体内部の感覚を研ぎ澄まさなければならないからだろう。まさに「考えるな、感じろ」である。音楽はそのために最も有効な手段の一つに違いない。
 それはアスリートに限らない。今の自分のベストを生きるため、自分自身を取り戻すためには、目に見える世界からの刺激や、ともすれば過剰になり暴走する人間の知恵の働きを解除しなければならない。昔なら、宗教儀式がその働きを果たしたのであろうが(…)。今日では、iPodで音楽を聴くというのがそれにとって代わっているのではないか。そんな風に考えると、音楽に集中しているアスリートの姿が、瞑想する修道士に見えてくる。この巡礼を通して、世界のどのような場所においても宗教と音楽のない場所は存在しないのではないかとそう思った。
 実は、このiPod nano は故障してしまい、使用していない。アップルショップに持って行き、もし直るのであれば、修理に出してみようとこの文章を書いていてふと思った。(抜粋引用)