風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

闘っている相手が巨大なものだとしたらーリンク先の記事を読んで考えた事ども

● 櫻井誠と廣松渉(3)ー「物象化論」とはなにか?
特に…は、福岡県の北九州であり、ある種、特異な街である。石炭の街であり、鉄鋼の街であり、近代資本主義発祥の街である。さらに付け加えるなら、日本の大陸進出(侵略)の拠点でもある。(抜粋引用)

リンク先のこの文章を読んで、ふとこんなことを思った。
闘っている相手が巨大なものであったとしたら、それはちょっとやそっとのことでは動かない(変わらない)だろう。もし私たちが向き合っている相手がそのようなものであるなら腹を据えてかかるしかない、と。



【緊急連絡】 福岡県および佐賀県界隈にて 中身は福岡県産米「ゆめつくし」と偽って 福島産コシヒカリ横流し米を ヤミ米としてさばいている集団がいるそうです。 友人がそのブローカーに指摘したら 「福島や被災地の農家を助けて何が悪い!」と開き直ったとのこと。 皆さん、ご注意下さい。(ツイッターから)
うちの近くのお店にも福島産のお米が売られている。販売元は三重県の業者だが、裏には、福島産単一玄米と表示されている。袋の表には「丹精込めた米」とか何とか書いてあったように思った。偽装だったり、目立たぬようにこっそりだったり、結構やっているのだ。(ミルトス)
こんな風に金儲けのために「食べて応援しよう」という人々の言動は解りやすい。本当に応援するのであれば、偽装するのでなく堂々と放射能の値を測って公表して売れば良いのだ。安く仕入れて、被災地の応援も出来れば一石二鳥だという考えの人間もいるだろう。
けれど、食べて応援しようと思う人達の中には金儲けではなく、福島を見捨てることが忍びないと本気で考えている人達もいる。そうしてそのような人達は、しばしば金儲けをしようと考えている人達に利用されてしまう場合がある。その区別をしなければならないと思うのだが、それを見分けることが結構厄介だとも思う。ガレキ問題も同じだ。

● 熊野市にがれきが来なくなった!
三重県に隣接した和歌山県民としては一安心だしなんといってももうこの件に関してはこのしちめんどくさい反対運動をしなくてよくなったのだという開放感がたまらなくうれしいものです。こんなことに割いてる時間があったら薪でも割ってたほうが俄然有意義と言えます。
でも断念した理由というのが三重にくるはずだったものを秋田で処理できるからということなので…、環境省は三重と福井で諦めたけれど大阪や富山ではがんがん処理していくつもりらしいので(あざらしさらださんのぶろぐhttp://azarashi.exblog.jp/17211444/)日本全体、地球全体として根本的には日本人のアホさは解決されてません。結局は環境省はがれき広域処理自体辞めるつもりはもう頭ないらしいのでここを変えていかないことには真の問題解決にはならない。
今回行動してみて痛烈に感じたのはやはり地元の人たちの無関心さと不勉強さです。
そのほとんどが関心がない人か未だにがれきを遠く離れた地で燃やしてあげることが東北の人々の助けになると信じこんでいる人です(大文字はミルトスによる)。(抜粋引用)


このところ、共産党について考えていた。共産党は労働者や中小企業を支援してきたと思うが、廃品回収業者などの支援もしてきたのではないかと思う。その延長上に、リサイクル、エコ活動、再生エネルギー(太陽光発電など)推進などがあるのではないだろうか、と。どういった政党でも指示してもらうためには、支持者の生活が良くなる政策を打ち出さなくてはならない。それが、共産党の場合、この流れでの自然エネルギー推進なのだ、と。
けれど、札幌時代、小学校のPTAでエコ活動などに力を入れていたお母さん達は共産党とは関係ない。この人達は、市民活動をしている人達で生協活動などが出発点のようだ。この生協というのも、系列だか成り立ちの違いだかで色々に分かれているようだ。この人達も原発反対を唱えつつ自然エネルギーを推進している。こういった市民活動をしている人達の中には富裕層も結構いるように思う。
これらに対抗するためには(私は原発にも自然エネルギーにも反対という考えなので)この微妙な違いを解っていなくてはならないように思う。世の中のすべてが金のために動いているとしても。