風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

芳賀言太郎のエッセイ 特別編 〜イスラエルの旅 聖地とイエス・キリストの足跡を訪ねて〜


● “クレモナの大聖堂はイタリアの知られざる宝のひとつだ。フイレンツエやローマやヴエネツイアにあるもつと有名な聖堂より小さく、派手さでは劣るものの、わたしの目から見ると、そうした大きな教会は本来の目的を失い、普通の人々との触れ合いもなくしてしまつたようにみえる” 『ヴァイオリン職人と天才演奏家の秘密』 (創元推理文庫) ポール・アダム 青木悦子訳 東京創元社

芳賀言太郎のエッセイ  特別編 〜イスラエルの旅 聖地とイエス・キリストの足跡を訪ねて〜
 2015年8月、世界的な猛暑の中で私はイスラエルに滞在していた。イスラエルの下ガリラヤ地方に位置する都市遺跡テル・レヘシュ発掘調査にボランティアとして参加するためである。…。この発掘作業については改めて「イスラエル発掘日記」とでも題して書きたいと思っている。
 今回は休日にエクスカーションとして訪れたイスラエル各地の旅行記を綴りたいと思う。最初のエクスカーションはバスでイスラエル北部のガリラヤを周遊した。…。つまり、ガリラヤ湖畔はイエスの伝道の舞台であり、この小旅行はイエス・キリストの足跡を辿るものである。
 
 バスに揺られながら、最初に訪れたのは「祝福の丘」と呼ばれるガリラヤ湖の北西に位置する丘(標高125m)にある「山上の垂訓教会(Church of Mount of Beatitudes)」である。…。建築としては新しく、観光客向けに整備されている感があるのは否めない。しかし…、それなりに由緒のある教会である。教会自体が聖書の教えを伝える役割を担っているのである。

(中略)

 次に訪れた「パンの奇跡の教会」(Church of the Multiplication)はガリラヤ湖北西岸の村タブハにある教会で、イエスが2匹の魚と5つのパンを祝福して分け与え、5000人もの人々を満腹にさせた奇跡(マタイ福音書14章14〜21節など)に由来している。ここにはローマ帝国キリスト教化した4世紀中期に教会が建てられ、ビザンチン帝国の発展に伴って6世紀に改修された。その後、イスラム勢力の進出によって廃れ、忘れ去られていたが、20世紀に発掘・再建され、ベネディクト派の修道院となった。
 …。
 現在はすでに修復されているが、この教会は今年の5月に放火の被害にあった。壁にはヘブライ語の赤い文字で「邪神の崇拝」を批判する落書きがあり、警察当局はユダヤ教の過激派による犯行とみて捜査しているという。背景には、複雑に宗教が絡み合っているイスラエルの情況がある。日本にいると宗教的な対立を感じるような場面はほとんどないが、イスラエルは違う。3つの宗教の聖地を持つエルサレムを含み、いつ宗教紛争が起こってもおかしくは無いのである。というより、建国以来、一貫して軍事力によって領土を拡張し保全してきたイスラエルは、常に戦時下にあったし今もあると言った方がいいかもしれない。18歳になるとすべての国民が徴兵(男子3年、女子2年の兵役)される現実がそれを物語っている。

(中略)

 すぐ近くにあるペテロ首位権教会(St.Peter’s Primacy)はイエスがペテロとアンデレに出会ったという場所に建てられている。内部正面には岩があり、ペテロ(ギリシャ語で岩という意味)を象徴している。その名前とは裏腹にガリラヤ湖畔にひっそりと建つこじんまりとした教会で、正面の岩はメンザ・クリスティ(キリストの食卓)と呼ばれ、これが祭壇となっている。この岩の上で復活後のイエスがペテロたち弟子に食事を与えたとされている(ヨハネ福音書21章4〜13節)。
 この食事の後、イエスは自分を三度「知らない」と言ったペテロに三度「わたしを愛するか」と問い、ペテロの三度の「はい」に、三度の「わたしの羊を養いなさい」との言葉を与えて、ペテロを使徒として立てたと聖書は記している(ヨハネ福音書21章15〜17節)。教会の名前はこの記述に由来するものだが、ペテロの召命と再召命(つまり裏切りとゆるし)を記念するこの教会は、あのバチカンの豪華絢爛なサン・ピエトロ寺院よりよほどペテロにふさわしいように思う。

(中略)

 次に訪れたガリラヤ湖畔の町(Capenaum=Kfar Nahum)は「慰めの村」を意味する。…。紀元3世紀時代のユダヤ教シナゴーグ跡が残り、見事である。土台はイエス時代のものとされており、玄武岩で出来ている。シナゴーグは2階建てであり、1階は男性、2階は女性と空間が分けられ、それぞれの場所で祈りを捧げていたという。正面の門や柱などが残り大体の規模が想像できる。

(中略)

 次々と名所を巡る旅というのも大変なのだと実感する。私はパック旅行と呼ばれる旅行やガイドツアーなどの経験がほとんどない。見たいものを見るというのが私のやり方である。気に入った場所は時間をかけ、あまり興味の持てない場所はすぐに移動する。しかし、ガイドツアーはそんな自分勝手は許されない。観光名所を次々に連れ回されている感じがして私の旅行スタイルには合わないように感じた。しかしながら、自分一人では訪れることはないような場所、行きたいと思っても交通手段がなくあきらめざるを得ないような場所にバスで連れて行ってもらえるのはありがたい。ガイドツアーのメリットを感じたのも事実である。(抜粋引用)

コラム 僕の愛用品 〜旅行編〜 第1回 バックパック
GREGORY(グレゴリー) Day&Half  \22,680

 旅は荷物を詰めることから始まる。このコラムの1番最初の第一回の巡礼編でもグレゴリーのバックパックについて書いたが、今回は小旅行に使うバックパックについてである。このDay&Halfはグレゴリー社の中でも歴史のあるバックパックであり1977年の発売から現在まで愛され続けている名品である。
(中略)
 …。それ以降、私の国内1人旅の相棒であり、…。いつもそばにこのバックパックがあった。使い続けて7年目の現在でも、まったく壊れる気配はない。もし壊れても修理して使い続けるだろう。(抜粋引用) 


● 『アベノミクスの終わり』と『本当の積極的平和主義』、それに0911『再稼働反対!首相官邸前抗議』&『戦争法案に反対する金曜国会前抗議行動』
と、いうことで、官邸前+国会前へ。…。
安保法案反対の抗議が始まって金曜日の帰宅が1時間遅くなり、ますます夕飯は作り置きの必要性が増してきました。
(中略)
『たとえ法案が通っても、私の生活は続いていくから絶望している場合じゃないんですよ。バイトしなきゃ。稼いで生きていかなきゃいけない。』
こういう発想になるのはこの子たちが企業とか運動体とかの組織ではなく、あくまでも自分個人の立場に立っているからだと思います。
(中略)
所詮 デモはひと時のものにすぎません。時間が過ぎれば消え去ってしまいます。でも ボクの人生だって一瞬一瞬の積み重ねにすぎません。その一瞬を諦めて沈黙して過ごすか、机の前で文句だけ言ってるか、自分の責任として引き受けるか、そこには大きな違いがあるでしょう。自分に対する態度の問題です。(抜粋引用)

昨日11日は、立ち位置を変えてみた。他の方達が立っている反対側の歩道、仕事を終えて徒歩や車で出てこられる関電の門の真正面に立った。しばらくそこで立つことにしようと思う。
デモを終えての帰り道、市役所から出てこられた職員さんが、「そっか、今日は金曜やったね。もう終わったん?」と声をかけてくださった。こんな田舎の10人足らずの「金曜デモ」が周知されているというのは、官邸前の「金曜デモ」が広く知れ渡っているからに違いないと思う。
私はたった一時間立って、家に帰り、夕飯作りの続きをして、8時までには出来立ての夕飯を頂いております。SPYBOY様、ごめんなさい。
(ミルトス)