風と、光と・・・

すべての人を照らすまことの光があって、世にきた。(ヨハネによる福音書1:9)

『メダカが田んぼに帰った日』金丸弘美=著(学習研究社)

以下に、昔書いた子どもの本の紹介文から写真で掲載。

● グリーンピースの共同創設者ムーア博士が人為的CO2地球温暖化説を全否定
「可能性が極めて高い」は科学的用語ではなく、むしろ法廷におけるような判断なのです。…。
恐らく、「可能性が極めて高い」の誤りをあばく最も簡単な方法は、過去の記録を見ることです。未来の予報と比較して過去の記録にはある程度の確実さがあります。…。
(中略)
現在により近い時代については、過去130年の世界平均気温の記録(訳注:書証3参照)を研究するのが有益です。
(中略)
私のコメントが、現在言いふらされている多くの気候に関する仮説に反していることを理解しています。しかしながら、…、ほとんどの種にとって温暖な気温の方が寒冷な気温よりも良いという事実に関しても、歴史が私を支持するだろうことを私は確信しています。
(中略)
添付資料の拙著「グリーンピース脱退者の懺悔:分別のある環境保護主義者の作り方」の気候変動の章をご覧いただければ幸いです。これを記録の一部としていただきますようお願い申し上げます。(抜粋引用)

● 地球温暖化・寒冷化の件
2.ツバル共和国などの海面上昇のほんとうの原因
 ツバルの水没危機の原因は、「海水面​が上昇すると水没の危機に見舞われる国には、キリバス共​和国(南太平洋)、モルディブ(インド洋)がありますが​、ツバルもその1つです。満潮時には、地面から水が湧き​出して住居や道路が浸水する現象が起きています。
 その原​因は、飛行場建設の際に掘り起こして出来たくぼみからの​湧水、低い土地に人が住むようになったこと、生活排水に​よる汚染で砂を形成する有孔虫が激減したこと、などが指​摘されています。」
http://www.eorc.jaxa.jp/imgdata/topics/2010/tp100623.html
(中略)
6.CO2地球温暖化犯人説の来歴は原発推進派であり、これは政治的で利権がらみの問題である
 地球温暖化の原因はCO2であるとして、世界中にCO2削減を訴えているIPCCの始まりは、英国のサッチャー政権の原発推進政策だったとのこと。当時、エネルギー源であった炭鉱労働者のストライキに悩んだサッチャー首相は、原発推進を図ったが、国民の原発アレルギーが障害でした。そこで王立科学院にお金を出して、火力発電所の出すCO2が地球環境によろしくないことを提唱させ、運転中、CO2排出量が少ない原発を宣伝しました。
 その流れを汲むIPCCは、とにかくCO2地球温暖化原因説を前提として研究しています。(抜粋引用)
(中略)
・アフリカには石油も石炭もある。しかし、環境保護グループはこういった安いエネルギーを使うことに反対するキャンペーンをしている。太陽光や風力を使えと主張する。
・実際には何が起きているのか? ケニアのある診療所にはソーラーパネルと電灯と冷蔵庫が設置されている。しかし、発電力が貧弱で、電灯と冷蔵庫を同時に使うことができない(!)。(引用からの抜粋引用)





 二酸化炭素は、空気の中に含まれています。空気は、いっぱいあります。しかも、近年、「大気中の二酸化炭素の濃度が上昇している」といわれます。だから、二酸化炭素が不足することなどないように思われます。ところが、植物にとっては、二酸化炭素が不足しているのです。
 空気中の約八〇パーセントは窒素であり、約二〇パーセントが酸素です。それに対し、二酸化炭素は、空気中に、わずか〇・〇三五パーセントほどしか含まれていません。「大気中の二酸化炭素の濃度が上昇している」といっても、〇・〇四パーセント以下なのです。
 …。空気中の二酸化炭素の濃度は、こんなに薄いために、植物たちは、多くの二酸化炭素を取り込めません。そのため、光がどんなに強くても、葉っぱはそのすべての光を使いこなすことができないのです。(田中修=著『植物はすごい 生き残りをかけたしくみと工夫』(中公新書)より引用) 

 
● 日本の人件費と醜い流言:『0731 再稼働反対!首相官邸前抗議』+『安保法案に反対する国会前抗議行動』
ということで、今週も官邸前&国会へ。暑いなあ。夕方6時になっても30度超えてるもんなあ。
まず官邸前で再稼働反対の抗議。8月にも川内が再稼働されると言われている。こっちだって大切だよ。抗議が始まるのを待っていると砂防会館からのデモ行進『安保法案に反対する学者と学生の共同行動』がやってくる。学者と学生の集会&デモに約4000人が参加したそうです。彼ら・彼女らと再稼働反対の抗議の面々が道路を挟んで、お互い手を振る。美しい風景でした。
(中略)
水島教授はベルリンの壁が崩れたとき現地に居たそうです。それは最初はライプツィヒでの1000人のデモから始まったそうです。参加者は『就職が出来なくなる』とか『秘密警察に捕まるかも』とか散々脅かされたそうです。それがベルリンでの100万人のデモに繋がった。毎週月曜日、どれだけ集まるかもわからないのに始めたあのデモがなかったら、ベルリンの壁は壊れなかった。教授はそれを目の当たりにしていたそうです。(抜粋引用)